江戸時代の高僧・慧妙日燈(えみょうにっとう)上人は、ご自身のお母さんを導かれるにあたって、このようにさとされた。
「み仏の教えを一時相続すれば一時の仏、一日相続すれば一日の仏、ないし千万年相続すれば千万年の仏なり」
また一方で、古人はこう教えている。
「今日一字をおぼえ、明日一字をおぼえる、久しくして博学となり、今日一善を行い、明日一善を行う、久しくして大徳となる」
これら双方の言葉は、似ているようで実は大きく異なる。ある程度の学識や人徳は、勉学や経験によって日々培(つちか)うこともできるが、決して修行の積み重ねの果てに成仏があるわけではない。
もちろん、自らを冷静に見つめて昨日の反省をふまえることは大切だが、日々今この時を「皆が成仏という最高の人格を備えるように」という仏さまと同じ願いをもって、いつも他人に仏さまのお姿を観て礼拝(らいはい)する。こうした行いそのものが、もうすでに成仏なのだ。
人に対してお題目をお唱えするということは、私たちが仏さまの救いの手の内にいるということを信じ受け入れ、そのことに誰もが気づいてもらうための、慈悲と尊敬の行動に他ならない。
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