古来より「花祭り」として親しまれているこの日。でも日本では、クリスマスやバレンタインデーに比べると、ちょっと寂しい行事になってしまいましたね。お釈迦さまが三千年も前に説かれた「仏教」は、もう必要とされなくなったのでしょうか?
平成14年4月28日は日蓮聖人の「立教開宗(りっきょうかいしゅう)」750年。正しい教えに立脚した、皆が宗(むね)とすべき仏さまの「みこころ」が開き示されたこの日は、大聖人の誓いと願いを改めて思い起こす日でもあります。
お盆にはご先祖が帰ってくるって本当でしょうか?今や夏の風物詩ともいえるこの行事。しかし、仏教に説かれる「供養」の意味をふまえると、現在のお盆は日本古来の風習「先祖崇拝」と結びつき、ずいぶん様変わりしたようです。
日蓮聖人のご命日にあたり、私たちがどのようにしてご恩に報いる生活を送るか、みなが一同に会して誓いを新たにする日です。大聖人をしのび、まさに「ひと目お会いしたい」との気持ちで営む法要といえるかもしれませんね。
お釈迦さまはどんな人だったのでしょう?悟りを開いたといっても、そもそも悟りとは何なのでしょう?現代を生きる今の私たちにとって、お釈迦さまからのメッセージがどれほど大切なものなのか……。悟りは、決しては人ごとではありません。
神も仏もあるものか!そうつぶやかずにはいられないほど、すさんだ世の中。それでも私たちは、悲惨な事件が我が身や家族に降りかからないよう、一年の平穏無事を願ってまた神社へと繰り出す。この祈り、はたして天に届くのでしょうか?
鬼は外、福は内……。でも、鬼は本当に外からやってくるものなのでしょうか?善と悪、苦と楽、自分と他人、様々な環境の在り方を決定づけているのは私たちの心なのです。鬼とは、皆の心の中に存在するものなのかもしれませんね。
ホシにバラされガイシャはホトケに?いやいや、死んで花実が咲くものか!お釈迦さまは、生きている内から仏さまでした。でもずっと生き続けておられたなら、私たちはお釈迦さまに頼り切ってしまい、いつまでも成長=成仏できないのです。
その時、その国、その人。法華経に予言された通りのことでした。お釈迦さまがしたためられた台本通り、全生涯をかけて法華経を生き抜かれた日蓮聖人。仏さまのお心が包まれた「お題目」の珠は、700年の時を経た今も輝き続けています。
昼と夜の時間が均等に分かたれるその日、この世とあの世を結ぶ道を通して死者への想いが行き渡る……。いいえ、彼岸とは決して死後の世界でもなければ、ご先祖さまを供養した見返りに、自分たちの幸せを願う日でもありません。
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