彼岸会 |
春分と秋分
日本で「春分の日」や「秋分の日」を中心にした一週間は「彼岸(ひがん)」と呼ばれており、この日は仏教各宗派とも「彼岸会(ひがんえ)」と称してご先祖の霊をなぐさめ、成仏を祈る法要が営まれています。しかしこれはもともとインドの仏教には無かった習慣で、どのような経緯で行われるようになったのか、今となっては確かなことは分かりません。 彼岸という言葉自体は仏教にあったもので、悟りを開いて仏陀となり、生死の苦しみから離れることを川の向こう岸にたとえたものです。それに対して、まだ悟りを開くことができず生死にとらわれている状態を、「此岸(しがん)」つまり川のこちら側の岸にたとえます。おそらくこの川が「三途(さんず)の川」と結びつき、彼岸が死者の行くところだと考えられたのでしょう。 また一方で、稲作などの農業が盛んな国や地方にとって、日々の天候はとても重要です。特に日本のような四季のある風土に住む人々は、昔から太陽の動きに敏感だったに違いありません。ですからその区切りとなる春分・夏至(げし)・秋分・冬至(とうじ)の日に合わせて、太陽の順調な運行と天候を祈る祭りや行事が催されたのです。 さらに春分や秋分は、昼と夜の長さが逆転する区分点でもあります。これが生から死、死から生へと渡る時期と考えられ、先の彼岸の意味と結びついたのかもしれません。 こうしてみるとご先祖を供養するという考え方は、私たちの意識の深いところまで、ずいぶんと根強く広がっているような気がします。 なぜご先祖さまを拝むのか? 死んだ人々をなぐさめる行為は大昔からあり、発掘調査によると「旧人」と呼ばれるネアンデルタール人たちも、死者に花を供える習慣があったようです。また「人間は死後も生きている時と同じように生活する」という考え方も昔からあり、大きな権力を持った王たちの墓の副葬品を見れば、そのことが良く分かります。さらに、そうした偉大な指導者たちの力や知恵を惜しむ気持ちが、死者を「神」に祭り上げることになったのでしょう。こうして「先祖崇拝(せんぞすうはい)」が始まったのです。 人間の「ご先祖を拝みたい」という感情は非常に強いものらしく、唯一の神であるヤハウェ以外の力を信じないはずのキリスト教徒でさえ「聖者信仰」という形で先祖を崇拝しており、キリスト教国の文芸作品や民間信仰の中には、亡くなった先祖の霊魂に語りかけることで現実の問題解決を願うといった風習も珍しくありません。 ところが仏教といいキリスト教といい、世界宗教と呼ばれる宗教は、先祖を崇拝したり供養することを強く勧めてはいないのです。それなのに日本における仏教は、まるで先祖供養が教えの中心であるかのように変わっていきました。だからこそ、こうした状態に疑問を抱く人たちが、また新しい宗教を求めてさまよっているのでしょう。 page 1 | 2 |