以前、大河ドラマ「毛利元就」の最終回で、元就が「地獄に堕ちる。わしは恐い」とつぶやき、人を殺した時の恐ろしさを回想するシーンがあった。
その時、妙夫人が「殿はよく生きられました。よく生ききった者だけが極楽に行けましょう」と懸命に励ますと、元就は思い直してこう言う。
「わしは雫(しずく)だ。雫は笹の葉に張り付いて流れに任せていこう、み仏のままに……。妙よ、ようここまで助けてくれた。よき生であった。礼を申すぞ」
気の小さな元就の、最後のセリフがそれだった。
人にはそれこそ十人十色の個性があり、生き方がある。個性は天から与えられた最大のプレゼントだが、弱点も含めて自分の個性をよく知り、社会と調和して活かせる「分に応じた生き方」のできる人は少ない。
死に瀕して初めて悔悟(かいご)の念が起こることのないよう、日々の自分自身をよく見つめ、懺悔(ざんげ)と感謝を念を抱き続ける生き方こそが大切ではないだろうか。生きざまは死にざまなのだ。
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