持病のため、今まで何度か手術を経験した。
ある時、看護士主任さんの前で「なんでこんな病気になるのかなぁ」と、うっかり愚痴をこぼしたことがある。すると「あなたお坊さんでしょう。人の苦を受け取ってあげていると思えば楽になるよ」と言われた。まったく恥ずかしい限りだが、確かにその一言で楽になったように思える。
お釈迦さまは、お経の中でこう説かれている。
「益なき千の言葉より、心の安らぎを得る一言こそ、いのちの言葉なれ」
色々な言葉が氾濫している現代。言葉の重さを知り、ただ優しいだけではない、厳しさの中にも慈悲ある一言を大切にしたいものだ。
日蓮聖人のお言葉の中にも「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうち唱え居させ給え」とある。
自分が楽を得るために唱えるお題目は、日蓮聖人のお示しになったご修行ではない。どのような現実にあっても、お釈迦さまに見守られているという揺るがない安らぎ。それを相手にも与える一言が「南無妙法蓮華経」なのだ。
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