最近「ユビキタス」という言葉をしばしば見受ける。漠然としか意味合いをつかんでいなかったので、辞書で調べると「いつでも、どこでも、だれもが恩恵を受けることができるインターフェース・環境・技術のこと」とある。
ユビキタスとは、本来ラテン語の宗教用語で「神はあまねく存在する」「神の遍在」という意味である。日常生活の中で、コンピューターが何台も繋がっていることを意識させない究極のインターフェースとして、この言葉が使われるようになったという。
しかし、この「いつでも、どこでも、だれでも」が実はくせ者で、得てして「神」の遍在ではく「魔」の遍在と化する。例えば硫化水素による自殺は、第三者の巻き添え被害を生むとともに、簡単に入手できる家庭用洗剤を使うことから自殺者増加に拍車をかけてしまった。
ところで、わが家でもこの遍在に苦慮している。ゲゲゲの鬼太郎の親父似のマスコットが有名なケーブルテレビ。アニメのチャンネルだけでも四つあり、休日ともなれば小一の息子がリモコンを駆使して一日中観続けかねない。
「ドラゴンボールとポケモンとケロロだけにしとけ」と言っても聞かないので、仕方なく慣れないワープロソフトで三つの番組だけの表を作り、コピーで拡大し、踏み台に乗り、ワイドテレビの上の壁に貼り出した。「いつでもどこでもキタローの親父……」とつぶやきつつ。
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