「より細く、美しくなりたい」
そんな願望は、ダイエットという言葉のもとに必要な栄養までを拒絶し、一部の女性たちの健康をむしばんでいる。また、夕食という自然なコミュニケーションの場は、父親の残業や子供の塾通いで失われる場合も少なくない。
いま食べなければ、それがすぐ死へとつながるという危機感はとうに失われ、豊富な食べ物に囲まれた状態を「あたり前」と思う状態さえ通り越してしまった日本。生きる上で最も基本的な「食」に対する意識がこの有り様では、「美しい国」というキャッチフレーズがまたたくまに廃れたのも当然に思える。
食事の前の「頂きます」とは、もともと神仏に供えていた物を、頭上に戴いてから食べる所作から来ているそうだ。この言葉を仏教的に解釈するなら、自分を命を保つために、他の命を頂くとわきまえる言葉といえるだろう。
そして「ご馳走さま」とは、自分がこの食事を頂けるまでに馳(は)せ走ってくれた、目に見えない大勢の人たちに捧げる感謝の言葉だ。恩を忘れてこの身の美しさは無く、ましてや美しい国など有り得ない。そのことを教えるのが躾(しつけ)である。
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