lotus column 盲目をひらける功徳 by Kanshun
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 仏教は何のためにあるのか?それは人々の盲目を開くためにあるのだろう。

 個々の利益を求めるが故に、人々は進むべき道に盲目になる。制限のある世界の中ですべての人が物豊かな生活を送ろうとすれば、自ずと競争が生まれ、物資競争の行く先は争いであり戦争である。

 個人の幸せの積み重ねが世界の平和を生むのではなく、世界平和への道のりが個人の幸せへと繋がっていくのだという仏道に現代の人々が盲目でなければ、昨今寺院で唱えられている祈願の内容は、立正安国・世界平和で統一されていることだろう。

「汝早く信仰の寸心を改めて、速かに実乗の一善に帰せよ」(立正安国論)

 日蓮聖人は、早く・速やかに自己を中心とした信仰の心を改めよとおっしゃっている。しかし悲しいことに、寺院での祈願で木霊(こだま)するのは、自らが望む守護神に対しての心願満足であったり、立正安国とは無関係の個人の願いであったりする。信仰の寸心を改めない限り、人は自分にとって都合の良い功徳を求めてしまうのだろう。

「日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり」(報恩抄)

 身を惜しまずお釈迦さまの金言を実践し、進むべき仏道を証明され、我々の盲目を開いてくださった日蓮聖人。個人の幸せを求める人々と守護神との仲介人を努める道が、日蓮聖人の大慈悲・大恩に報いる道と重なっていくとはとても思えない。

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