lotus column 仏教は特別な体験を要求する? by Erou
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 現代では、特別な体験を求めて仏教に関心を持つ人が多い。その典型であり、今最もポピュラーなものが「禅」であろう。

 我々の多くは特別な体験を求めようとしがちである。「特別な」というのは、他との比較によって成り立つことである。そして多くの人が、特別な何かを得るための手段として仏教を求めているように見える。

 しかし仏教は、ただまっとうなことを求めているだけである。根本的な態度を正し、まっとうに生きよと。しっかり向き合えと。仏教に関心があるなら、仏の言葉としっかり向き合うべきである。

 仏から見れば、全てのものは平等である。仏としっかり向き合うものは、個々それぞれ全て仏。特別ではない。比較を絶している。絶対。一乗の「一」。平等ということは、個々の絶対性。だからといって「みな同じ」ではない。「みな同じ」というのは比較のうちにある。「平等」という言葉も、仏が伝えようとするものと、我々の普段使う意味とは異なっている。

 学ぶとは、単に知るということではない。自らの固定観念や、自らのありかたを正すことである。「平等」も、仏の言葉を受け入れ、「南無妙法蓮華経」と唱えてはじめて本当に明らかになる事柄である。

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