私は男ばかりの三人兄弟の末っ子である。三人とも幼い頃には、何か悪いことをすると、叱られてよく押し入れに入れられたものだ。
そんな時、長男は泣きながら謝り、賢い次男は押し入れに入れられる前に謝り、そして私は押し入れの中でスヤスヤと寝てしまっていたとか。同じ兄弟でも三人三様、両親はさぞや育てにくかったことだろう。
長じてそんな私にも子供がいる。まだ小学校の低学年だが、これがまぁ言うことを聞いてくれない。聖人君主とまではいわないが、人から後ろ指を指されない大人になってほしいと、今は嫌われようが泣かれようが、四苦八苦しながら子育てをしている。
省みて私が子供の頃、両親も私のことを思って叱ってくれたのだろう。子供が理解しようがしまいが、いつの時代でも親は子供をより良き方向に導こうとするものだ。
仏さまと我々の関係もまた同じなのだ。私たちが気付こうが気付くまいが、親として常に私たちを導こうとして下さっている。そのことに本当に気付いた時、この上ない喜びと感謝の念で心が満たされ、仏さまの弟子としての自覚が生まれるのではないだろうか。
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