lotus column 産まれること by Tendo
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 私には小学六年生になる息子がいる。最近、こんなことを言うようになった。

「自分もお坊さんになって、お寺の後を継がんとアカンのかなぁ」

 私もこの歳の頃、同じように悩んだものだ。私は「自分で決めれば良いよ」と答え、続けて「なぜ、お寺の子として生まれて来たと思う?」と質問すると、少し考えて「わからん、たまたまやろう」と息子。そこでこんな話をした。

 お釈迦さまは誕生される前、天上界からこの世界をご覧になり、神々と相談しながらお生まれになる場所とご両親をお決めになった。これは、お釈迦さまだけが特別なのではなく、誰しも両親を選んで生まれてきたと考えるべきだと思う。自分が選んで母の胎内に宿る。ただし、宿った命を産むか産むまいかは親次第。子供が生まれたいと願い、親が産みたいと望んで、はじめてこの世に新たな生命が誕生する。

 神仏から子供を授かり立派な人間に育てることが親の務めで、子供から選ばれた責任がある。子どもは、親を選んだのは自分であるという自覚を持って、産んでくれたご恩をお返しできるよう、人生を一生懸命に生きなければならない。

 息子に「生まれて来る前に、お寺を選んで生まれて来たはずやで」と言うと「そうかなぁ、覚えてないなぁ」と言いつつ、少しお坊さんになる自覚が芽生え始めたようだ。

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