UFO通信 |仏になったらどうなるの?(5) by Ufo

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 前回まで「成仏」ということについて、その周辺をうろうろしてきた。まさに成仏と同じく、すっきりと解からぬことを、すっきりとは解からぬようにしてきたようだ。すっきりと解かるはずのことを、すっきりとは解からぬように書いてきたわけではないので、どうかお許し願いたい。

  仏法があまりにも奥深く広大であり、それはちょうど、宇宙があまりにも奥深く広大であり、人間の心があまりにも奥深く広大であるのと同じであるから、その最深奥である成仏が愚僧ごときに解るはずもない。

 では成仏することは不可能なのだろうか。いやそれでは外道に堕してしまう。大乗、それも実大乗といわれる「法華経」では「即身成仏」がうたわれている。成仏にしろ即身成仏にしろ、「仏になる」というのは本当にどういうことなのだろう。

 経文を見れば身体の形も変化すると書いてあるのだが、変化して三十二相が備わった人など見たことはないし、日蓮大聖人にしても、そんなことはなかったようである。そこで、成仏を身体の変化ではなく心の門題だとして、では一体心がどう変化することを成仏というのだろう。

 一般に「仏教」といえば、すぐ連想されるのが禅宗や小乗の僧侶達の厳しい修行と、その結果として得られるような心の状態であろう。常に変わらぬ柔和な表情と落ち着いた態度物腰、感情にとらわれることなく、それでいて理性に走ることのない、まことに中庸(ちゅうよう)を得た状態がそうであろう。しかし、この状態は逆に言えば無感動でもある。この状態が必要な時にはそれも良かろうが、時には感動もしてみたいではないか。そもそもこれが煩悩(ぼんのう)というものであろうか。難しいものだ。

 以前テレビで、日本人がタイの小乗仏教僧になり修行している姿を見た。彼らがテレビに出ていることを意識しているかどうか解らないが、大したもので、ほぼイメージ通りであった。

 けれども、やはり出家主義は出家主義、彼らと同じ修行生活をしないと成仏できないのであれば、在家の人はどうすればいいのか。徐々にでも、急激にでも、どちらにしろ出家修行する人が増えた時、いったい誰が彼らの生活を支えるのだろう。幸い、出家する人と在家のままでいる人との比率は、それ程変化するものでもないようであるから、余計な心配というものであろうが、反対側から考えると、常に極くわずかな人数しか成仏できないことになる。

 これでは釈尊の「一切衆生を成仏させる」という理念にまったく合わない。どうやら、出家して修行しない限り到達できないような心理状態を「成仏した」とは言えないようだ。成仏の一側面ではあるのかも知れないが……。

 またまたテレビで見たことで恐縮であるが、その昔東北地方に、生きながら地中に埋めてもらい、絶食してついにミイラになってしまった僧侶が何人かいるらしい。多分そんなことが流行った時期があったのだろう。テレビの解説によると、これを「即身成仏」と称するのだそうだ。もともとこれをそう呼んでいたのか、テレビの解説がおおかたの人たちの仏教に対する考え方を代表しているのか、あるいはまた、このテレビの解説によって仏教に対するこの様な考え方が定着していくのか、愚僧にはまったくわからない。

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