自在生活ノススメ |ボランティアについて 2 by Ufo

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「喜捨(きしゃ)」と「布施(ふせ)」だけでなく、キリスト教と大乗仏教には似たところがたくさんある。これら共通点は、人間が社会生活をできるだけスムーズにしようとする時に、必要なことである場合が多い。キリスト教と仏教だけではない。他の宗教でもそうだ。何かと闘争や戦争と結び付けられて語られることの多い「イスラム教」でも、「富める者」が「貧しい者」に手を差し伸べることは大いに賞賛されている。

 しかし、こうしたことが賞賛されるということは、「貧しい者」に手を差し伸べる「富める者」が少ないことをもあらわしている。

「貧しい者」に手を差し伸べる「富める者」が少ない場合、「貧しい者」の妬(ねた)み心を誘発して、殺し合いや国の間での戦争にまで到った例は、人間の歴史の上で数え切れないほどある。これを防ぐためには、神の教えや聖人の教えだけでは足らないのか、政治・経済の仕組みで貧富の差をなくそうという試みも現れる。

 こうした貧富のない、つまり私有財産を持たず共有財産だけで暮らす試みは、ごく小さなグループによるものを除いては、ことごとくと言っていいほど失敗している。また私有財産を認めてはいるが、税率の調整などによって、できるだけ共有の部分を大きくする試みもあった。だがこのやり方も、今までのところ大成功とはいえないようだし、広まり方も遅々としたものでしかない。

 これには人間の持つ性質のうち、かなり本源的なものが作用しているようだ。「自分だけの物を持ちたい、それも他人より多く、また良い物を」という欲望だ。この欲望をやみくもに押さえつけるだけでは、労働意欲をそぐことになり、その結果全体の生産量は増えない。あるいは減ることになる。となると、指導者や制度に対する不満は高まり、うまくいかなくなる。さらに極端な場合は「革命」ということになる。逆にこの欲望を刺激することによって、泥沼からはいあがった国もある。

 経済的な側面だけに限って書いてみたが、これだけでも問題は複雑である。というのは、人間の営為(えいい)である以上、人間の欲望をどう処理するかという問題が常に付きまとうからだ。

 よく言われるように、「物」と「それを欲する人間の欲望」とのバランスは非常に悪いのだ。欲は無限でないとしても、普通には欲望の限界のはるか以前に物は不足する。これを解決しないことには、人類の未来はかなり危険なものである。

 これまでの歴史が示すところでは、まったく失敗続きだ。少なくとも神や聖人の教えと、制度の整備という両輪がうまく働かないことには、とても無理というものである。〈つづく〉

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