自在生活ノススメ |いただきます by Ryusho

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 以前『これができたら百万円』というテレビ番組があった。その中には「百日間、家族全員で午後七時に『いただきます』ができたら百万円もらえる」というコーナーがあり、親子四人がそれぞれ百万円に向かって奮闘していた。

 お父さんの晩酌は午後七時までおあずけ。お母さんはパートから帰り、急いで夕食の準備。お姉さんは百日の間デートも電話で済ませ、恋人の実家がある鹿児島へも、午後七時帰宅の日帰り時間厳守旅行。妹はみんなの帰りが定時より遅くなると、時計を見ながらイライラ。そして親子四人が食卓に付き、前にある時計が七時になると一斉に合掌して「いただきます」と唱和する。そして、満願の百日をクリアし、ついに百万円をゲット!

 テレビで見ている限り、この親子は特別に信仰心があるようにも見えないが、合掌して食事をとる姿はとくに違和感もなかった。

 とある公立小学校の給食で、合掌して「いただきます」をすることに、PTAからクレームがついた。合掌は仏教徒の作法であり、公立学校の行事(授業も給食も同じく教育の一環)の中に一宗教の作法を取り入れ、強制するのはおかしいというのだ。

 確かに合掌は仏教徒の礼拝の作法であり、経典にも合掌という言葉が数多く出てくる。しかし多くの日本人は、神仏を祈る時や感謝を表わす時、特に仏教の作法であることを意識せず合掌をする。例えば、お寺やお墓参りの時は合掌しても、神社に参る時は、神道の礼拝作法である二拝・二拍手・一拝をちゃんと行う人が何人いるだろうか?たいていの日本人は二拍手だけをし、そのまま合掌して祈るだろう。

「箸(はし)をとらば 天地御代の御恵み 父母と師匠の 恩を忘れず」

 戦前生まれの御仁(ごじん)ならば、箸を親指と人さし指の間にはさんで合掌をし、食事の前にこれを唱和した経験がお有りかと思う。

 一方、日蓮宗にも食前の作法である「食法(じきほう)」がある。

「天の三光に身を温め、地の五穀に精神(たましい)を養う。皆これ本仏の慈悲なり。たとえ一滴の水、一粒(いちりゅう)の米も功徳(くどく)と辛苦(しんく)によらざることなし。我等これによって心身の健康をまっとうし、仏祖の教えを守って四恩に報謝(ほうしゃ)し、奉仕の浄行(じょうぎょう)を達せしめたまえ。南無妙法蓮華経」

 毎日の食事は天と地の恩恵によるものであり、それを食することは、すなわち食材の命を「いただく」ことだ。その食材の命より、日々の生活と勤労が保たれていることを忘れてはいけない。

 コンビニやファーストフードでは、時間の経ったべんとうやハンバーガーが無造作(むぞうさ)に捨てられており、日々の食事でもつい残してしまう人が多い。「もったいない」といって無理に食べると「肥満の要因になる」「その一口がブタになる」などと言われるほどだ。しかし現代は、天地の恩恵による食事を残すこと、無駄にすることに、いささかの抵抗感を覚える時代であるべきだろう。なぜなら、エコロジー〈環境問題〉が叫ばれている時に、残飯としてのゴミを増やすことになるのだから。

 毎日、当たり前のように食事をしているが、「衣食足りて礼節(れいせつ)を知る」と言うように、もう一度食べ物について思い直す必要がある。そして天地の恵みを有り難く頂き、感謝の気持ちを表わすことが大切だ。ならば、素直に合掌して「いただきます」と言える人になり、また言える人を育てていかなければならない。

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