自在生活ノススメ |娘のふり見て我がふり直せ! by Kanko

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 早いもので、娘が誕生してから二年の月日が経ちます。こと子供の成長は日に日に目を見張るものがあり、うかうかしていると見過ごしてしまいそうです。ついこの間まではハイハイしていたのに、今では境内(けいだい)を所せましと走り回っています。実にその成長ぶりに感心させられ、毎日が驚きと感動の連続です。そうした子育ての中で、多くのことに改めて気付かされます。

 とくに口まねや手振り身振り、仕草など、親そっくりに真似をします。あまりの正確さに驚くとともに、苦笑いが絶えません。それもそのはず、親の良い面だけでなく、得てして癖を真似するものです。

 さらにその娘の言動を、七ヶ月の息子がじっと見つめています。何かにつけ歩行器で姉の後を追う弟、お姉ちゃんの持っているもの全てを欲しそうにしています。やがてこの息子も、姉を介して親の真似をすることでしょう。その日を想像すると頼もしい反面、空恐ろしい思いがします。親としてうかつなことができませんネ。

 「子は親をうつす鏡」との言葉があるように、子に対する親の情愛やしつけだけでなく、親の生活習慣そのものが子供の成長に反映されます。「人のふりみて我がふり直せ」の言葉ではありませんが、自分の行動の善し悪しは我が子を見れば一目瞭然(いちもくりょうぜん)なのです。普段気付きもしなかった癖(くせ)などが、突如、子供の言動によって映し出されるのです。これほど正確に指摘されることはありません。

 そもそも真似をすることは決して悪いことではありません。学ぶの語義には、子供が家の中で大人の手振りや身振りなどを真似て倣(なら)うことにあります。真似ることが学習の第一歩なのです。むしろ子供にとって、親は常に模倣(もほう)のサンプルです。とくに幼児期では、親を真似ることで自らの自我を形成させます。ですからしつけるにしても、親のしていることを真似させれば早いのです。それだけに親の言動が大切になります。

 しかし私たちは完璧な親ではありません。必ずどこかに欠点や短所を持ち合わせています。そうした欠点は、そのつど正すように心がければいいのです。子供は親に教わるだけでなく、実は親にとって善行(ぜんぎょう)を励まし、悪癖(あくへき)を正してくれる先生なのです。

 「負(お)うた子に教えられて浅瀬を渡る」という諺(ことわざ)があります。自分より劣った未熟な者に教わったり、負うている子供の高さから見ればよく物事が見えるのだという喩(たと)えです。この喩えのように、私たちは背負うた子供に我がふりを直してもらうことが必要なのではないでしょうか。ひとつ物事の見方を変えれば、様々なものが見えてきます。親の立場から子供を見下すのではなく、親も子供の目線から物事を眺(なが)めると、今まで気付きもしなかった盲点が現れてくると思います。

 今、私は子育ての中から数多くのことを学んでいます。その一つに子供の目線で子供たちを見ることです。親の都合だけで子供を押さえつけるのではなく、子供の視野に立って学ぶ。この姿勢だけでも忘れずにいたいです。親が子供を育てているようでも、実は私たちの方が子供に育てられ、「親」になれるのではないでしょうか。子供とともに親も成長するのです。そうした点において、子育ては素晴らしい学習の場でもあり、修行の場なのです。

 「娘のふり見て我がふり直せ!」を座右(ざゆう)の銘(めい)として、努力精進して行きたいです。

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