自在生活ノススメ |遊んで暮らそう by Chijo

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UFO通信

のほほん評判記

 みなさん、最近遊んでますか?え〜、私はいつも遊ぶようにしています。正直言うと、まだまだ遊び足りませんが……。

 どんな仕事でも遊び半分で取り組んでいると、大抵の場合は非難されるか怒られますね。例えば会社に出てきて、勤務時間中に仕事もせずマンガばかり読んでいると、たちまち「月給ドロボウ」扱いされてしまうでしょう。社内ではいつも机に向かい、残業もいとわない従順な人。こういうマジメな人こそ、上司や社長にとっては信頼できる社員なのかもしれません。

 ところが、人はとても寂しがりやで、そのくせ他人に対して恐がりで、そんな本音を隠すためには平気で嘘をつく動物でもあります。そして自分がたくさんの人たちにほめてもらえると、不思議と寂しさや恐怖は薄らいで安心するものです。マジメなことは時に素晴らしい生産力を生みますが、まわりの評価によって安心を得るためだけにマジメな内は、自分自身をはじめ組織にとっても、今後独創的な広がりは期待できません。

「なら遊び半分で仕事をすることが良いのか?何ごとにも真剣に取り組まなくてどうする!」

 当然、そんなご意見もお持ちの方もいらしゃることでしょう。でも私は、真剣だとか一生懸命だとか「命をかけて」なんていう言葉を、よくもまぁ軽々しく使ってくれるなぁ、なんてことを思うこともあるわけです。特に、自分のやってることを非難されないよう、そういった言葉で防御してるだけの人に対しては……。

 とにかく「やる人」は、言葉よりも体が動いてます。言葉だけで「そうすべき」では、世代を超えて伝えられるものなんて、どんどん無くなっていくような気がします。

 ただし、遊び半分は確かに良くありませんね。中途半端で時間のムダに終わるからです。理想は、遊び全部!公私混同もいいとこ、まるっきり遊んでしまう(ちょっと誤解を生むかな?)。これってどういうことかというと、いつも心のアンテナを張って、自分とまわりとの間で双方向に情報を行き来させる。その上で「自分が心底欲する行動」を起こし、かつ「まわりも生き生きとさせる」ことだと私は考えています。

 こんな方がいます。自在研究所代表取締役社長という妙な肩書きを持った森政弘氏。この方が『自在学講座』なるものを開いておられるので、その一部を引用しましょう。

「『遊ぶ』というのは東洋思想では非常に高次元の概念で、『主体的に仕事をする』ということです。自主性をもって、自ら進むと遊ぶになる。だから自遊自在に仕事をする、自らあるという姿勢で仕事をすれば、遊びになります。もっと言うならば、『やらされている』という気持ちのない状態が遊び。だから、ちょっとした開き直りが要るんですね」

 仕事と遊びの区別をつけたがる人ほど、自分の管理能力に自信がないもの。逆に自在とは「思いのまま」という意味で、心が自在な人はいつでもどこでも自分が主体的だからこそ、一般に考えられている仕事と遊びの区別にこだわる必要がなく、思いのままに自分を発揮できるというわけです。心のアンテナが、発信するだけの一方通行だったり、自分がまわりに認められるための情報ばかりを受信するようでは、ホントの意味で遊んでいるとは言えませんよね。

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