自在生活ノススメ |レッテルをはがして by Dozaemon

想

小坊主のつぶやき

いつそば「観心の章」

いつそば「開目の章」

自在生活ノススメ

UFO通信

のほほん評判記

 日に日に寒さの増す毎日ですが、こうなると太陽のまぶしい夏を懐かしく感じますネェ。人々は薄着になって開放的になり、山々は緑でおおわれ、田んぼの稲も日に日に生長していく季節。

 でも、困ったこともありました。稲の生長と同時に、庭の雑草も生長著しいのです。草刈りをしたかと思うと、二〜三日もすればまたしっかりと芽を出してくる。取っても取っても、次から次へとしぶとく生えてくる。まったく憎らしい奴で「いっそコンクリートで固めたろか」と何度思ったことか。「世の中から雑草なんて無くなれば、どんなにか楽だろう」と思いながら、腰をかがめて草取りにいそしむ季節でもありました。

 けれども、ちょっと見方を変えて雑草の立場になってみると、何も彼らは刈られたいと思って生えてきた訳ではないはずです。「芝生なら良くて何で俺なら悪いんだ」と怒っているかもしれません。

 以前、テレビで誰かが「雑草という名の植物はありません。どんな草にもスギナやクローバーといったちゃんとした名前があるのです」と言っていました。確かにその通りです。私たちは一面に生えている芝生の庭を見て美しいと感じ、その美しさを維持しようと一生懸命に他の草を刈り取っていますが、刈り取られる方の草にしてみればいい迷惑でしかないんですね。ただただ、他の生き物と同じように一生懸命に生きているだけなんです。人間の身勝手で雑草というレッテルを貼られ、日々刈り取られている。それが大多数の草たちの運命と言えます。

 一方、私たち人間同士でも、同じことが知らず知らずの内に行われているのではないでしょうか。その人の外見や性格の一部分だけを見て、自分の常識や価値観に照らし合わせ「あの人はしょせんこんな人だ」「あの人にはこんな悪いところがある」と決め付けていることはないでしょうか?

 自分とまったく同じ境遇や価値観を持つ人など、世の中に一人もいません。だから、自分が「そこはおかしい」と思うことでも、他人にとってはまったく問題の無いことかもしれないし、自分が当たり前に行っていることが、他人から見れば「なんてアホなことを」と思われるかもしれないのです。

 まずはレッテルをはがして、相手の存在を認めることが第一歩。すると、その人の思いもかけなかった素晴らしい部分が見えてくるかもしれません。また同時に、自分の至らないところや悪いところも見えてくるもので、自分自身も反省によって成長できるはずです。

 自分の価値観なんて、たかが知れています。自分勝手な先入観や偏見が無いか冷静に考え、少しだけ心を開くことで他人を認め、自分自身を知ることができれば、もっと豊かな人生を送れるのではないでしょうか。

 とは言いつつも、やはり夏になれば、草取りにいそしむ日々を過ごすのでしょうが……。


「自在生活ノススメ」バックナンバー

what's newdiscourseseasontalesideadownloadlinkmyoabout "myo"site mapNOEC

HOME

Since 1999, Nichiren-shu Osaka Enlightenment Center. All teachings are opening up.