自在生活ノススメ |原因と結果 by Bunkyo

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 現代のような情報社会では、インターネットやテレビによる報道、雑誌等による様々な情報が、私たちの脳にインプット(記憶)されていく。生活していく上で便利な情報や、ためになる情報もあれば、芸能人の熱愛・離婚などといったどうでもいい情報も……。

 様々な情報の波が渦(うず)となって私たちの脳にインプットされていくが、人間の脳には容量があり、古い情報や記憶に薄い情報はアウトプットされる。いわゆる「忘れる」ことである。

 辞典で「忘れる」を調べてみた。一、覚えていたはずのことが思い出せなくなる。記憶がなくなる。二、他のことに心を奪われて、一時的にそのことを意識しなくなる。三、うっかりして、物を置いたままにする。四、しなければならないことをしないでいる。

 私も何かを忘れてしまうことがよくあるし、皆さんにも経験があるかと思う。先述したように、計り知れない情報が飛び交う現代では、仕方がないのかも知れない。しかし「うっかり忘れた」では済まされないこともあるはずだ。例えば酒を飲んだことをうっかり忘れて、飲酒運転で人をはねて死亡させてしまった。ここで「うっかり」など通用しない。

 私たちは人間として生まれ、当たり前のように生活している。しかし、人間として生を授かることは、この地球上に多数の生物がいる中でその確率を考えた場合、ある意味奇跡と言えるかも知れない。また、両親やご先祖が一人でもいなければ、私たちは生まれていないはずだ。そう考えると、やはり奇跡としか言いようがない。

 では、私たちは本当に奇跡や偶然で人間に生まれてきたのだろうか?ほとんどゼロパーセントに近い確率の難関をパスして、人間に生まれて来たというのだろうか?いや、私たちが人間として生を授かったのは、奇跡や偶然ではなく必然で、人間に生まれるべくして生まれてきたに違いない。

 物事には「原因」と「結果」がある。仏教では「因果応報」というが、この摂理に照らし合わせると、私たちが人間に生まれた結果には、何かしらの原因があるはず。私たちは、その原因を実は知っているはずなのだが、忘れてしまっているのではないだろうか。特に私たち日蓮聖人の弟子にとっては、「うっかり忘れた」で済まされない「大切な原因」を……。

 私たちは、奇跡や偶然ではなく「必然」として今の時代に人間として生まれ、これもまた「必然」として法華経・お題目に出会ったはずだ。日蓮聖人の弟子として生まれたからには、大聖人がご教示下さっている生き方から外れないようにしなければならない。

 「心」に「亡」を合わせると「忘」になる。心を亡くすことなく、心を込めてお題目をお唱えすることで、「大切な原因」が見えてくるのではないだろうか。


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