自在生活ノススメ |悔いのない一日 by Shoudo

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 二〇〇七年九月二十七日、ミャンマーの最大都市・ヤンゴンで、反政府デモを取材していたカメラマンの長井健司さんが、治安部隊兵士の銃弾を受けて亡くなられた。

 彼は正義感にあふれた方だったようで、生前はミャンマーをはじめパレスチナやイラクといった多くの紛争地帯を取材し、戦争が起こっている国々の真実を報道することに「命」をかけ続けていた。そんな長井さんが銃弾に倒れた時、最後に何を思っただろう。もちろん無念ではあったと思うが、果たして後悔の念は抱いていただろうか?

 何度も戦地に赴いていた彼にとって、常に「死」は身近に感じていただろうし、恐らくそれを受け入れる心構えもできていたのではないかと思う。実際、両親をはじめ親しい人たちは、長井さんの生き方にどれほど理解を示していたかはともかく、彼が日本を出ていくたびにその死を覚悟していたかもしれない。であるなら彼は、毎日を充実し悔いのないものにするため、人一倍の努力をしていたはずである。

 このように、崇高な目的のため自らの命を投げ出す覚悟を持つ人がいる一方、何と己の命を軽々しく扱う者たちの多いことか。警察庁の統計によると、全国の自殺者は一九九八年以降、十一年連続で三万人を超えているそうだ。一日あたり約九十人が亡くなっており、これは実に交通事故死の五倍にもあたる。

 確かに、自ら命を絶つくらいであるから、よほど切迫した事情を持つ人が大半であろう。しかし、常日頃から「生きていてもつまらない」「いつ死んでも構わない」などと思っていて、ある時何かのきっかけで衝動的に死を選んでしまう者も少なくないようだ。

 「いつ死んでも構わない」。この言葉には二通りの解釈の仕方がある。一つは、前述した長井さんのように、生きる目的をしっかりと持ち、その目的を達成するために毎日を精一杯生き、たとえ志半ばで命を落としてしまったとしても、決して悔いは残さない前向きな「いつ死んでも構わない」。もう一つは、生きる目的もなく、ただ毎日時間だけが無駄に過ぎ去ってしまった結果無気力になり、そのためにたどり着いた後ろ向きな「いつ死んでも構わない」。

 恐らく大半の方は「いつ死んでも構わない」などとは思ってもいないだろう。しかし、誰もが「いつ死ぬか分からない」からこそ、「いつ死んでも構わない」くらい毎日を一生懸命に生きることが大切である。またそのように生きることで、初めて命を懸けても惜しくない目的が見つかるのではないだろうか。

 まずは今日一日!悔いのない一日を過ごすよう心がけたい。


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