自在生活ノススメ |親の背中 by Shouken

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 先日、私が体験した出来事です。前から歩いてきた男性と、母親と話をしながら一緒に歩く小学生とがぶつかりました。親子連れの方は、真横に並んでお互いの顔を見ながら歩いていたので、そちらに非があるのは歴然でした。しかし、男性はそれを責めるわけでもなく「ごめんね。大丈夫?」と子供を気遣っています。

 ここまで来たら、その後の展開はピンとくるでしょう。その問いかけに子供は知らんぷり。親までも子供に謝らせることなく、その男性に謝るのでもなく、何やらぶつかった原因は、前から私たちが歩いて来ているのを知りながら、よけなかった男性にあるという始末。結局、男性が謝り、双方その場を立ち去りました。

 みなさんは、このような出来事をどう思われるでしょうか。日蓮大聖人は『南条兵衛七郎殿御書』の中で「ひとり三徳をかねて恩ふかき佛は釈迦一佛にかぎりたてまつる」と述べておられます。「三徳」とは、主・師・親の三つの徳目をいいます。この内のどれをとっても欠かせない大切なものだということに異論はないでしょう。ところが、現代においてはどうでしょうか。

 昔から「主が主なら家来も家来」あるいは「師、師たらざれば、弟、弟たらず」「親が親なら子も子」などと言われますが、今まさに、その故事が当てはまる世の中になってしまったのかもしれません。現実に、親が子供を、子が親をなど、耳を疑う事件ばかり起きています。

 日蓮大聖人はこの三つの徳目を重要視され、御本仏であるお釈迦さまこそ三徳を体現なさっている仏さまであると受け止められておられます。「今この三界は皆これ我が有なり」とありますように、お釈迦さまはこの世界はすべて私が救わなければならない世界であると、主の立場を示し、「其の中の衆生は悉くこれ吾が子なり」と、親の愛情をもって私たちを大きく包み込んで下さり、師として平等大慧の法華経を説き明かされたのです。

 お釈迦さまこそ主師親の三徳を備えられ、この世に仏としてお出になり一切衆生に真実の教えを説き明かされ、人としての心の在り方を開き、そのことを気づかせてくれた唯一の仏さまです。

 「子供は親の背中を見て育つ」と言います。子供たちの未来のためにも、大人が自行化他(じぎょうけた)の信心を子供たちに示し、慈悲の心で時には温かく手を差しのべ、時には冷たく突き放さなければならないこともあるでしょう。そうすることによって、子供たちも自分で考えて、決めて、実行するようになり、自発的に行動できるようになるのではないでしょうか。

 未婚の私ですが、いずれ結婚し子をもった時、いかようにあるべきか、考えさせられる今回の出来事でした。


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