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 子供の想像力といえば、まず思い浮かぶのは、夢一杯の不思議な話や突拍子もない発想。毎日子供と接していると、私ではとうてい思いつかない無邪気な物語を話す姿に目を細め、時には懐かしく感じながらも感心させられることがあります。

 では、本当に子供は想像力豊かなのか、ここでは少し違った角度から観ていきたいと思います。

 子供は大人に比べて圧倒的に経験が乏しいため、その少ないイメージをつなぎ合わせることで、子供ならではの組み合わせができます。結果として、まるで幾何学模様のような不思議な発想になるのではないでしょうか。

 私が幼少の頃は、凄惨な事件や痛ましいニュースを聞いても、さほど関心を示しませんでした。それが今では、例えフィクションであっても残酷な話を受け入れることができなくなったり、罪の無い人や幼児が犠牲になった事件・事故を見聞きするだけで、辛くてたまらなくなります。

 歳を重ねると、事件そのものよりも犠牲になった人のこれまでの人生や、残された人の心や生活を我が身に照らし合わせて見るようになりました。その結果、様々な場面が自分のことのように鮮明に思い浮かび、もう辛くて見ていられないと感じてしまうのです。

 幸いなことに人間は、他者を思いやる心と、それを伝える言葉を持っています。誰でも子供の頃「自分がされて嫌な事は人にしてはいけません」と諭されたことがあると思います。

 そして、もう少し大人になると「自分は平気でも相手は嫌かもしれない」と、他人と自分は違うことを学び、さらに「自分はこういうつもりで言ったけど相手には誤解されたかも」と、自分の気持ちや考えが必ずしも正しく伝わる訳では無いことも経験します。時には思いがすれ違い、関係がこじれてしまうこともあるでしょう。

 それでも他者を思いやる心と、それを伝える言葉は、人間の持つ尊い宝物です。ただし、ひとつ使い方を間違えば、取り返しのつかない場面に出くわすことも忘れてはなりません。

 子供が発する言葉の中には、「豊かな想像力」という武器があります。無邪気な言動の大半が許されてしまう根底には、子供ならではという特権があるのです。しかしながら私たち大人には、時と場所・状況などを瞬時に判断して言葉を使わなければならないという責任が、ずっしり重くのしかかってきます。

 まず人の話をよく聞き、自分の言葉も一つ一つ吟味してから口に出す。それだけで少し変わると思うのです。状況把握と瞬時の判断が欠落していることのあらわれが、今の世相なのでしょうか。悲しい事件が少しでも減って欲しいと願わずにはいられません。


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