いつそば「観心の章」 |
法華経「信解品(しんげほん)」では、四大弟子の告白を通して、お釈迦さまの真意が法華経ただ一つであり、また仏と衆生とがどのような関係であるかが示されています。
信解とは信仰にもとづいた理解であり、疑いから解脱し正しい信念を得るという意味があります。お釈迦さまの説法を聞いていた須菩提(しゅぼだい)・迦旃延(かせんねん)・迦葉(かしょう)・目連(もくれん)という四人の仏弟子は、舎利弗(しゃりほつ)が「譬喩品(ひゆほん)」でお釈迦さまから「未来に成仏する」との保証を授けられたことを大いに喜び、自らの信解を「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の譬え」をもって仏さまに申し上げるのです。それは長者すなわち大富豪が、幼い時に流浪し迷子になった我が子に、様々な手だてを尽くしてそのことを納得させ、自分の財産をすべて相続させるという物語でした。 そして弟子たちはこう続けます。 「この大富豪とはお釈迦さまのことで、子供とは私たちのことです。私たちはみな仏さまの子なのです。お釈迦さまは、常に私たちを仏の子であるとお説きになっていますが、私たちは親である仏さまのお心も知らずに、無知のため小乗の教えにとらわれ、迷いの苦悩を受けてきました。しかし今、お釈迦さまが一乗の教えをお説き下さったおかげで、私たちは本心から願い求めたわけではないのに、この上もない宝である悟りを自然に頂くことができました」 私たちは父である仏さまの深い慈愛に見守れられて、己の本然(ほんねん=本来生まれもった)の心である仏性(ぶっしょう)の花を開くことができるのです。 |