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 前回に限らず、思想や姿勢が一方に片寄ることの「非」については一貫して書いてきたつもりなのだが、いま少し……。

「未知なるものが眼前にあることの恐怖・不安を解消するのに、全能の神、例えばエホバや阿弥陀(あみだ)に頼り救いを信ずる方法と、未知なるものを既知なるものにする方法とがある。両方相俟(ま)てば良いのだが、どうも一方に片寄ってしまう傾向がある(後略)」と、前回に書いたが、様々に異論もあろうかと思う。

「エホバは全能ではない。サタンの問題一つ解決できない神が、全能であるはずはないし、その全能性を標榜(ひょうぼう)する教会の為した悪の数々を考えれば、まるで問題にならぬ」と言わざるを得ない。また、坂岡徹蓮上人が「ユダヤ教・キリスト教について」で述べられたとおり、法華経宇宙においては、まったくの一地方神に過ぎないことも事実である。しかし、ここではエホバの全能性を信じている人達の態度や姿勢を言っているのであって、本当にエホバや阿弥陀が全能かどうかは別問題で、極端な言い方をすれば、イワシの頭と並べても良かったのである。

 ともあれ、こうした姿勢をとる人は結構多いように見受けられる。こうした姿勢とは対蹠(たいせき)にあるはずの自然科学に対してさえ「全能」であると思い込み、それによる救いを信じる人々が沢山いた、或いは今もいることについては周知のとおりである。

 この姿勢が経済界の盗っ人根性、金儲けの為なら何をしてもかまわない、という考え方に支配された科学技術と、理性による思惟(しゆい)とを混同し、公害やら自然破壊を招いた一因になったことは、大方の識者の指摘するところである。公害、或いは自然破壊に付いては論議百出、私などの出る幕はないが、一つだけ言っておきたいことがある。公害問題以前のことなのだが、公害病にかかった患者達が補償金をもらうと「上手くやりやがって」とか「会社に迷惑をかけるとは何事か」とばかり非難したり、逆に補償金目当てに公害発生地区に移り住み、公害病にかかっていると主張する恥ずべき連中がいたことを忘れてはならない。

 それはさて置き、こうした没理性的な態度が、我々の「生」の問題を解決するのに何ら役立たなかったこと、いやむしろ害にさえなってきたことは、我々の歴史が如実に示している。

 未知なるものが存在することの恐怖・不安は、我々の「生」の問題のごく小さな部分にしか過ぎない、と言う人がおられるかも知れないが、我々人類が未知なるものを解明するのに、つまり既知なるものにするのに費やしてきたエネルギーの膨大さを考えると、そうも言えないのではないかと思える。

 宗教や哲学やその他諸々が、宇宙開闢(かいびゃく)やら、祖先の問題、果ては自然現象に様々な説明を加えてきたことを思い出してみよう。混沌の中から分かれた天・地・海とか、鼇(おおがめ)の背に乗る大象の背に乗る大地とか、自分達の祖先は熊であるとか鳥であったとか、田の神・狩猟の神・風の神・雷の神・太陽神とか、すべて人類が未知なるものを既知なるものに変えようとした努力の跡ではないか。

 これらが荒唐無稽だと言っているのではない。もちろん、自然科学もそうした営為の一環である。ただ異なるところは、自然科学の方には「物質段階で説明しうることは説明しきってしまおう」「論理に合うことだけを対象にしよう」という態度が明白なことである。

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