UFO通信 |I 先生の変貌 by Ufo

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 先日、京都の妙覚寺に参拝した後、拙僧の大学時代の恩師である生田耕作先生にお会いした。「いまだに」などという言葉を使う程のお年でないとはいえ、変わらぬお元気さに安心し、大いに啓発もされてきた。魂がお若いのである。変な表現だが、こうとしか言いようが無い。

「人間の頭脳というものは凄いですよねェ。知識でも入れようと思えば、いくらでも入りますよねェ」

 七十才を目前にして仰しゃるのだから恐れ入る。

 先生との出会いは、もちろん最初の授業でのことで、とにかく講義するのが大変お嫌そうな表情であった。だが軽々に結論を出すのは控えることにした。高校時代にこんな経験があったからである。

 当時は拙僧の知らぬことであったが、大学のポスト待ちの先生が幾人かおられて、生徒のことなどまるで構って下さらず、授業も半分うわの空といったご様子。「一体何やろ」と仲間と語らって夏休みなどにお家を訪ねると、まるで別人であった。高校生を相手に、論文のテーマや周辺の問題、学会の体質改善の必要性等について熱っぽくお話になるのである。なるほど「人には添うてみよ」といわれる通りなのだ。

 そんなわけで、生田先生の研究室を訪ねることにした。案の定、別の顔を見せて下さったのだが、二度三度と重ねるうちに、世の中には大変な人がいるものだと思うようになった。該博(がいはく)な知識、論理の確かさ、何よりも学問や人生に対する真摯(しんし)な態度、人間愛等の一端を垣間見ることができたのは本当に嬉しかった。が、一方で「追い越せそうにないな」とも思ったものだ。しかし、追い越せずとも目標にして努力しておれば少しはましな者になれるだろうと、従いていくことにした。

 先生との出会いについては、自分は幸運であったと思うのだが、それだけでなく師を求める気が人一倍強かったからだとも思っている。「求めよ、さらば与えられん」とは誰の言葉だったか忘れたが、釈尊も「求道」については非常に強調して教えられており、内容は異なるところもあろうが、似たようなことかと思う。先生には天秤にかけたようで申し訳なく思うが、当時は他の先生方の研究室にも行ったのである。結果は段違いで、生田先生が図抜けていた。

 さて、これを少しく一般化して考えてみる。いわゆる人生の師との出会いという段でみると、様々な場面で様々な師との出会いがあろう。直接には会えない古代の哲人であったり、学校や社会の先・後輩であったり、あるいは父親であるという人もいるだろう。師が複数であることも結構多いようだ。

 師を求める気持ちは、誰もが大なり小なり持っているものと思われる。それが意識されている場合もあり、そうでない場合もあろう。意識されておれば、師を求めるという行動として表われやすいが、そうでない場合、幸運に巡り会えば善し、でなければ、あるいは巡り会えたことに気付かなければ、人生悲惨な結果に終わること必定である。意識して師を求めない場合も、結局は同じことだろう。もっとも、悲惨な人生であることに気付かない人もいて、それこそ釈尊の仰しゃる「苦」の中でも最大のものではなかろうか。

 とにかく古今東西、師とあおぐのにふさわしい人は数多い。真剣に熱心に求め続ければ、心の琴線(きんせん)をかき鳴らしてくれる師は、幾多の人士が保証している通り必ず得られる。では、どんな時に人は「師と巡り会えた」と感じるのだろうか。

 意識的に師を捜し求めている場合だと、長年の疑問に見事に答えてくれる人であったり、当面の関心事について圧倒的に優れている人であるというような、かなり具体的な事柄について基準らしきものがある場合が多いだろう。また漠然(ばくぜん)と何かその人の内に強烈なパワーを感じて、という時もあろう。おそらくは両方同時にというのが本当のところだろうが、無意識的な場合には後者の場合が多かろう。いずれにしろ「尊敬し得る」という言葉に集約されるが、もう少し思いつくままに書いてみる。

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