UFO通信 |UFOが飛ぶ(1) by Ufo

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 古い唄の一節を取り出して、もじってみたのにはわけがある。拙僧(せっそう)とて「オジさん」と呼ばれるような年になると、いやでも世の中の変化というものに気づかされることがある。人それぞれであるから、変化に気づくのも、それぞれの対象があると思うが、拙僧の場合は人の考え方や感じ方に興味があるので、ついそちらの方に目が向いてしまう。そこで今回は「UFO」について少し考えてみたい。

 拙僧がまだ“厚顔の卑少年”であった頃にも、今とは違い「空飛ぶ円盤」と呼ばれていたが、UFOについて語られることはあった。もちろん前の古謡のもじりで明らかなように、もっと隠微(いんび)な語られ方であって、「空飛ぶ円盤を見たことがある」などということも、現今のように明るく自慢できることではなかった。とは言っても批難されたり無視されたりすることはなく、それはそれで、つまり「世界の秘密」「宇宙の神秘」を覗き見た者として“卑少年”達の間で英雄にはなれたのではあるが……。

 ところが、米国では既にUFOについて様々に取り沙汰(ざた)されていたらしく、拙僧が大学に入った頃には、かの有名なアダムスキーの著書などが訳本で手に入るようになった。著作年や訳出年を確定できないのはひとえに拙僧の整理下手のせいであって、その訳書を買って読んだ覚えはあるのだが、どこかにまぎれ込んで見つからないのか、古書屋に売ってしまったものか、とんと記憶になく申しわけのしようもない。恐らく著作が1950年代末から60年代の初め、訳出は60年代前半と思われるが、これも定かでない。が、少なくとも今から30年程前には、米国では結構真剣に語られていたことは確かである。

 UFOが一体何をするために地球にやって来るのか、当時のアメリカでも色々な考え方があったようだ。例えばアダムスキーは、金星人が地球の人類と友好的交際を求めていると考え、賛同者を集めて新興宗教団体のようなものを形成していた。またある者は「全世界の統一平和を目指して共通の敵に当るべし」つまりUFOは地球侵略のために来るのであって、全人類存亡の危機を前にして大国の覇権(はけん)争いやら地域紛争にうつつをぬかしている場合ではないと主張していた。

 しかしどれも本当ではなさそうだ。金星には惑星探査機が着陸し、とても生物が発生しそうにない世界だということになっているし、宇宙人による侵略も、その後は兆候さえ見られない。

 当初からUFOの実在を疑う、あるいは否定する考え方はこれまたたくさんあって、観測気球を見間違えたのだろうとか、自動車のヘッドライトの光が雲に映るのだとか、さらにはまったく違う観点から、つまり心理的なものに根拠を求めるものまである。

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