UFO通信 |久しぶりの大和路(2) by Ufo

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 次に行った三月堂では、不空絹索(ふくうけんじゃく)観音像が有名である。実物を見たことの無い方でも、入江泰吉さんの写真は知っている、という方は多いのではないかと思う。

 しかしここには、あまり知られてはいないが、なかなかに良い神像がある。有名でない理由は、年に一度、一日だけの開扉(かいひ)だからであろうが、その故か保存状態が良く、ところどころ造立当時の色彩が剥落(はくらく)せずに残っており、古人が感激しつつ拝んだ姿形を彷彿(ほうふつ)とさせるに充分である。残念ながら今回は開扉の日ではなかったので見れなかったが、この執金剛神(しゅうこんごうじん)像自体珍しく、拙僧(せっそう)は他所では見た記憶がない。

 もう一つ、この堂は様式の違う建物二つをつなげてあり、外から内から、その美しさを比べながら見るのも楽しみである。機能だけを追求したところに現われる“美”というのもあるのだろうが、拙僧など機能性と装飾性がうまく融(と)け合ったものの方が好きである。

 どんなバランスでどんな融け合わせ方をするのか、棟梁(とうりょう)の腕の見せどころであるが、見る方は勝手なもので、造った人・造らせた人達の人間観や世界観を想像しては楽しんでいる。後から造り足すことになった棟梁の胸の内には、様々な思いが去来(きょらい)したことであろうが、恐らく最後には仏・菩薩・天に対する賛仰(さんごう)が心を占めたのであろう。風変りではあるが微妙な雰囲気に、それが表われているように思える。

 東大寺には、他にも色々見どころがある。戒壇院(かいだんいん)の四天王像なども、圧倒的な現実感において他に例を知らない。もう一つお薦めは講堂跡からの大仏殿の眺(なが)めで、正面からはさほどとは思えぬ大仏殿がとても美しい。

 ところで大仏殿は、いく度か焼失・再建をくり返しているのに、講堂は再建されないままになっている。仏教が、特に南都六宗が、学問としての魅力や実効性を失っていることの証左の一つであろう。淋しい現実ではある。僧侶の資格試験なども、恐らくは儀式と化してしまっているのだろう。聞いたところによると、東大寺の僧侶方は、比叡山から出た浄土系・禅系・法華系諸宗派を「鎌倉の新興宗教」とお呼びになっているらしい。ここにも、既に形骸(けいがい)だけになってしまい、観光に頼らざるを得ない分だけ一層プライドを高く保持しなければならない、という悲しい現実があるように思われる。

 だが、それはそれとして、東大寺には古(いにしえ)からの学問や行法がほとんどそのまま伝えられていて、大したものだと思う。拙僧は詳しいことは知らないので、まったく勝手な想像に過ぎず申しわけない限りであるが、“修二会”の中には“韃靼(だったん)の行法”というのがある。名前の通りその淵源(えんげん)が中央アジアにあるものとしたら、とても彼の地には今もその行法が伝えられ残っているとは思えない。なのに東大寺では伝承しているということであり、正倉院御物と共に大変な文化遺産であろう。

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