UFO通信 |キャッチアンドリリース(2) by Ufo

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 まず、動物の種の間での知能の優劣など確定できるのかどうか、一体どんな基準で言っているのか、その基準は納得できるものかどうか、説得されてみたいものだ。

 かつて脳の大きさ(重量)で知能の優劣を論じる学者たちがいた。ところが、象や鯨など、人間より重い脳の持ち主がいるとなると、自分たち人類が彼らより知能において劣っていることを認めたくないものだから、体重との比率を言い出した。さらには脳の表面の皺(しわ)の量だの何だのとうるさいことだ。これらには、西欧人たちの抜きがたい固定観念が現れている。一つは何でも「物」に還元する、二つ目は人間の最優位性を証明したい、というものだ。

 一つ目の還元主義について言えば、「ブラックバスの口辺には痛覚が無いので、釣針を掛けてもブラックバスは痛みを感じないのでかまわない」というような勝手な理由付けに進みやすい。

 二つ目について言えば、確かに人間が他の動物より優れていると思えることもある。だが、劣っていると見える部分も少なくない。それらを一々数え上げることもできないし、中には比べられないこともある。生物の生態や文化については、我々に未だ解らないことが多いのだ。生物の体の特性にあわせてその文化が進化し、文化の特性にあわせて体も進化した、というのが事実だろう。優劣の問題ではない。

 子供の頃に、コウモリやヤモリから昆虫まで種々の生物を飼ったことがある。今でも森が好きなところはまるで成長していない……いやアホは言うまい。ファーブル先生ほどの緻密な観察はとても無理であったが、感想としては「人間もそう変わらないな」というものであった。

 スポーツの中には、人間が直接殺し合うのを避けて勝敗を象徴的に昇華するゲーム、例えばサッカーなどもあって、それはそれで文化人類学的にも興味のあることだ。しかし、釣りに同じ「スポーツ」という言葉を使うのはまやかしでしかなく、一部の身勝手な人間のごまかしとしか思われない。

 細かいことだが、「へら鮒つり」の釣針は「もどり」(あるいは「かえし」とも言う)が無いのに対し、バスフィッシングにはもどり付きのトリプルフックが装着されたルアーがよく使われる。へら鮒つりの方にはできるだけ魚を傷つけまいとする姿勢が感じられるが、当然掛かった魚に逃げられることもあるだろう。

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