開目の章 |第7回「情けの人」 by Taiko

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 世間の人の日蓮聖人に対するイメージは「気が強い・厳しい・激しい」等、そうお感じになる人が多いようです。どうもこれは、諸宗批判や、時の為政者(いせいしゃ)を諌(いさ)めたことに端を発しているのでしょう。

 前回も申し上げたように、確かに大聖人は、法門(教え)については非常に厳格で、いささかの妥協もお認めになりませんでした。しかし、お釈迦さまがそうであったように、人に対しては非常に優しく、情け深いお方だったのです。

 数々の法難、晩年を身延のお山でお過ごしになったこと、そして老齢により、その頑強(がんきょう)なお身体も次第に衰えてきました。入山時には「この山を一歩も出まい」とお誓いになった大聖人でしたが、周囲のお弟子らの勧めにより、弘安五年(一二八二)に病気の療養とご両親の墓参りのため、身延を下りられたのです。

 この時、大聖人は栗鹿毛(くりかげ)の馬に乗って下山されますが、ご信者の波木井(はきい)公に、こんな内容のお手紙を出されました。

「この馬はあまりにも可愛いので、いつまでも側においてやりたい。慣れぬ馬番を付けるとかわいそうだから、どうかくれぐれもご配慮下さい」

 このお手紙は、ご自身で筆をとることができず、お弟子に代筆させておられます。そんなお身体の状態でありながらも、あたかも人に接するかのように、馬にまで平等に気づかいをされる。ただ単に厳しいだけではなく、慈愛の心がなければできないことでしょう。

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