開目の章 |第11回「お釈迦さまへの給仕」 by Taiko

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 文永十一年四月、佐渡流罪を赦免(しゃめん)せられた日蓮聖人は、三度目の国家諌暁(こっかかんぎょう=幕府への忠告)をされます。しかし、ついに時の幕府がこれを用いることはありませんでした。

 その後、大聖人は身延山に入られ、以降九年間をそこで過ごされます。入山の理由はいくつかあげられますが、その一つに門下(弟子や信者)の教育・育成がありました。ご遺文に「今年一百よ人の人を山中にやしなひて、十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ」「いとまあらばいそぎ来るべし。大事の法門申すべし」「庵(いおり)の内には昼は終日(ひねもす)に一乗妙典の御法(みのり)を論談し、夜は竟夜(よもすがら)要文誦持(ようもんじゅじ)の声のみ」とあるように、遠近を問わず多勢の門下が大聖人の膝下(しっか)に集い、法門を拝聴したようです。

 時には厳しく、時には優しく法門談義をされる大聖人のお姿、そして眼を輝かせ、一言一句たりとも聞き漏らすまいとする、お弟子やご信者の姿が眼に浮かびます。

 しかし一方で、大聖人の草庵には「ここにいる者の兄弟です」と言って来る者もあり、面と向かって断るわけにもいかず、後を絶たない入門者に半ば手を焼いておられました。ご遺文には「心にはしづかにあじち(庵室)むすびて、小法師と我身計り御経よみまいらせん」とあり、たび重なる法難の日々を過ごされ、今までお釈迦さまと法華経に十分なお給仕ができなかった分、身延のお山では、静かに心ゆくまで給仕申し上げたいと願う、大聖人のお気持ちなのでしょう。

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