開目の章 |第15回「演じる楽(ねが)い」 by Taiko

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 日蓮聖人は、ご自身が法華経に説かれた法華経の行者=上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)であると確信されました。

 法華経を拝読すると、末法に法華経を広める者は難に遭(あ)うと説かれています。つまり大聖人がこうむられた数々の法難は経文に言明されたものであり、必然的であったのです。

 しかもそれは、ご自身にとってはむしろ法悦(ほうえつ=法を広める上で得る悦び)でありました。経文に我が身が符合(ふごう)することで、法華経の予言が真実であり、ご自身が久遠本仏より末法に遣(つか)わされた上行菩薩である証明となるからです。

 また法難の事実は、日蓮聖人が「法華経の行者」であるということを、対外的にも知らしめることになりました。ここに、経文を通してお釈迦さまのお心に直接尋ねず、自らの考えで教えを選び取った法然・親鸞(しんらん)・道元等の他宗の祖師との、隔絶の差が明示されています。大聖人は、必然的にこの日本に、末法の時代に、生まれるべくしてお生まれになったのです。

 日蓮聖人の生涯を通しての言動は、すべてが法華経に起因していました。十二歳の出家得度から、六十一歳で身延の生活を終えられ、池上で御入滅になる日まで、法華経という台本の通りに、本仏と約束された世界を実行されたのです。

 本仏であるお釈迦さまを法華経という台本の原作者に例えたなら、日蓮聖人は原作者の心を体現された名役者と言えるでしょう。

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