私の名は阿難(あなん)。今日もお釈迦さまが説かれた光と風の世界を旅している。
あの時、お師匠さまのまわりには、法華経を自らが説くためにはどのような苦難にも耐えようという、勇気ある菩薩たちが大勢いた。特に薬王菩薩(やくおうぼさつ)や大楽説菩薩(だいぎょうせつぼさつ)といった立派な方々は、お師匠さまの前でこのような誓いを立てられたのだ。
「私たちは自ら末法(まっぽう)の世に生まれ、そこで法華経を広めることに全力をつくす覚悟でおります。どうか私たちがその任にあたることをお許し下さい」
尊きお師匠さまのご本意は、すべてこの法華経の中に説き示されている。今を生きる私たちが、その身そのままで仏になれるというお教えだ。そのためには菩薩の道を実践し、世の中のために力をつくすことを、本当に自分自身の喜びにできる人でなければならない。だから、この教えを持(たも)ち続けて広めるためなら、どのような苦難や迫害に遭(あ)っても、退かず悔やまない精神が必要だった。
一方、末法の世に法華経を広める者を、迫害する人たちとは誰か?まず初めは、法華経以外の教えを信じている在家の人たち。次に、法華経以外の教えを広めようとしている僧侶たち。彼らは悪口を言い、杖で打ち、刀で斬るといった行為に出るという。
そして、悟り澄ましたような様子で世間から仏さまのように崇(あが)められ、実は心のねじ曲がった僧侶たち。彼らは、国の法律さえ悪用して迫害を加えるという。法華経を広める人が自分に取って代わるのではないかという恐怖感から、表向きは「法のため」と言っていても、その実態は「自分のため」に権力者を使って迫害を加えて来る者たちだ。
しかし菩薩たちは、お師匠さまの前で不退転(ふたいてん)の決意を表明された。
「私の命や体は惜(お)しくありません。ただ最高の教えが失われることだけを惜しんでいるのです!」
「どうかお師匠さま、ご安心下さいませ!」
自らこそが、お釈迦さまの使いとして末法の世に出て行く者だというご自覚を、この時はお持ちだったから……。
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