開目の章 |第23回「如来の使者」 by Taiko

想

小坊主のつぶやき

いつそば「観心の章」

いつそば「開目の章」

自在生活ノススメ

UFO通信

のほほん評判記

 数多くおられた日蓮聖人のご信者の中でも、四条金吾は代表的な信者のお一人です。

 以前にも述べたように、文永八年の龍口法難の折には、我が身にかかる法難に恐れおののき、多数のお弟子やご信者が大聖人の下を離れました。

 しかし、そんな中でも四条金吾とその兄弟は「返す返す今に忘れぬ事は、頸切れんとせし時、殿はともして馬の口に付きて、なきかなしみ給ひしをば、いかなる世にか忘れなん」とご遺文にある通り法華信仰を貫き、日蓮聖人と共に我が身命を賭(と)そうと、龍の口の刑場まで同行されました。

 また当時、金吾には四ヶ月の乳児がいたと伝えられます。にもかかわらず妻子に後世を託し、我が屋敷から押っ取り刀で、刑場へと護送される大聖人の下に馳せ参じたのです。はたして、私たちに四条金吾のような行動がとれるでしょうか。

「鎌倉と平成では時が違うから……」

 いいえ、そうではありません。お釈迦さまがご覧になる時間軸では、共に末法という時なのです。

 四条金吾は言いました。

「日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば、久成(くじょう)如来の御使、上行菩薩の垂迹(すいしゃく)、法華本門の行者、五五百歳の大導師にて御座候聖人」

 であるが故に、日蓮聖人に心身共にお給仕申し上げる決定心(けつじょうしん)が自身を動かしたのです。「心働けば身動く」とは、正にこのことでありましょう。

what's newdiscourseseasontalesideadownloadlinkmyoabout "myo"site mapNOEC

HOME

Since 1999, Nichiren-shu Osaka Enlightenment Center. All teachings are opening up.