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こうした傾向は、当然一般の女性たちについても言えることだろう。自由恋愛の国とて見合い結婚などという習慣がなく、見映えが悪くても中身の良さを保証してもらえる機会に乏しい。いきおい、より好ましい男性に選ばれるためには先ず外見を整えなければならず、またこうしたプレッシャーは立ち居振る舞いにまで到り、姿勢や歩き方にまで気を遣わなければならい。 その際規準になったのが、ハリウッドの女優であり、ブロードウェイの女優たちであった。ブロードウェイでは、ヨーロッパのオペラとはまた異るミュージカルが出来上ったのだが、初期の段階では極く自然にオペラやクラシックバレエの影響を受けていた。 クラシックバレエの踊り娘たちの歩き方を見ると、顎(あご)を引き、胸を反らせ、足先を九〇度に開き、踏み出した足はかかとではなく爪先から着地するという、かなり不自然な歩き方ではある。でも、それが彼らの美意識に適ったのであろう、母親たちは娘にそういう歩き方を教育した、というのである。それが、ロックの隆盛につれてブロードウェイの踊りも変化し、教育の仕方も変わったか、あるいは歩き方についてまで教育しなくなったものと思われる。 筋力低下説と社会教育説、さてどちらが正しいのだろう。愚僧は後者を採る。もう一つ材料を提供しよう。 その昔、和服と正座で暮らしていた日本の女性たちも、歩き方については子供の頃から喧(やかま)しく注意されていた。「足先を内に向けるように」と。和服の裾捌(すそさば)きに関係すると聞いたが、日本人男性には、それがより美しく見えるということもあったのだろう。 で、彼女たちが年老いた時、果たして彼女たちの足先は外に向いて行ったかというと、まるでそんなことはなく、相変わらず内に向いたままであり、足腰が弱くなってたまに外出すると、自分の爪先にけつまづいた、などという笑えない話さえあったほどである。どうやら、内股の筋肉の強さと足先の開きぐあいとは関係なさそうである。 前者は医学的ないし生物学的な範囲で原因を求め、後者は社会的あるいは審美的(しんびてき)なところに原因を求めている。さらに言えば、もっと別の見方、原因の求め方も可能であろう。 女性の歩き方、特に足先の開きぐあいなどどうでもいいではないか、というのがごく素直な感想というものであろう。それを態々採り挙げて、何のかのと書いている愚僧自身を顧(かえり)みても、つくづく人間というものは、身の周りの様々な事や、直接目に見えない世界のことまで原因を知りたがる生き物だと思う。また、その探り方も様々であるという見本みたいなものである。 愚僧はここで、何も自然科学的な物の見方、就中(なかんずく)近年よく見かける統計的な物の見方の非を論(あげつら)っているのではなく、もし後者の見方が当たっているとすると、「こんなところまで」と思ってしまうのである。 我々は、あくまで生物としての限界内ではあろうが、意識するしないにかかわらず、様々な思いを抱いて暮している。それが、生物学的に扱える範疇(はんちゅう)を超えて我々の生活を形作ってしまうことが結構多い、ということに気付かされたエピソードであった。 〈H7.7/25初出〉 |