お会式 |末法救済のシナリオ by Taiko
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追放の予言

 法華経には様々な予言が示されており、中には「末法の世の中で法華経を広めようとする者は、たびたび追放されるであろう」と明示されています。日蓮聖人はこれらの予言を一つ一つ検証されましたが、中でもこの「追放の予言」は、ご自身にとっても大きなポイントであったに違いありません。なぜならまず法華経を広めなければならず、その上でたびたび、すなわち二度以上にわたって「追放される」ことになるからです。

image 末法の世において法華経を広めるか否かについては、自身の行動にかかっています。しかし二度以上追放されるとなると、自分の思惑だけで予言との一致を見るのはとうてい不可能なことだったでしょう。

 さらに追放されるということは、社会的に大変不名誉なことでもあります。もちろん、愚者に誉められることを恥とされた日蓮聖人にとって、仏法からはずれた不当な処罰など恥でも何でもないことでしょうが、ご両親や親せき・縁者の方々の中には、それを嫌う人が出てくることも当然考えられたに違いありません。にもかかわらず、日蓮聖人はこの予言に着目されたのです。

予言の検証

 一つの理論が正しいかどうかを判定するには、大きく分けて二つの見方があります。一つは、その理論が様々な事がらをどれほどキッチリと説明し、納得させることができるかということ。もう一つは、その理論がどれほど実際の現象とピッタリ合っているかということ。このどちらが不十分でも、正しく検証することはできません。日蓮聖人もこうした手続きをすべてもらすことなく踏まれ、法華経の予言が現実に起きるかどうかを検証されたのです。

 ここでは「たびたび追放されるであろう」という予言について考えてみましょう。結論からいうと、まさに法華経の予言通りに事が起ったのです。伊豆流罪、そして佐渡流罪です。

image 特に戦後のマルクス主義の影響を受けた、いわゆる平和主義者たちの間で、日蓮聖人は「独善的」「狂信的」と評されることもあったようです。しかし実際の日蓮聖人は世間の評判と違い、実に沈着冷静で公明正大な方でした。ですから初めの伊豆流罪の時には、何も言い出さないでおかれたのです。

 これが一般の思想家や宗教家だと、鬼の首でも取ったように「予言は的中した!」と言い立てたでしょう。しかしそんなことをすれば、かえって法華経に傷をつけてしまいかねません。どこからも文句の出ないようにしておかなければ、すべてのものを救うという「本仏釈尊」の本願をそこねることになってしまいます。

 だからこそ日蓮聖人は、二度目の佐渡流罪を経てから「開目鈔(かいもくしょう)」や「観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)」といった主要な書物を著され、初めて法華経の根幹となる世界観を「大曼荼羅御本尊(だいまんだらごほんぞん)」に顕(あら)わされたのです。これは、本当の真理をなかなか信じようとしない人たちを説得して、正しい教えに導こうという慈悲深さの現れにほかなりません。

 いつの世にも、道理の行き着く所が理解できず、本当の真理を信じようとしない者がいるでしょう。特に末法(まっぽう)という世の中ではそうした者が増えるだろうということも、また法華経に予言されています。しかしながら、日蓮聖人がご生涯をかけて証明されたにもかかわらず感情的にしか反応できない人が多いのは、返すがえすも残念でなりません。

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