人生の大事
身内や親せき、あるいは親しくしていた友人が亡くなるのは、とても悲しいことです。そうした時、悲しみに暮れるのも無理はありません。しかし、それだけで終わってしまってよいものでしょうか。他の人が、お釈迦さま同様の智恵や慈悲をもった理想的な人格者となれるよう導くとともに、自らも仏の人格を身につけようと生きる「菩薩道(ぼさつどう)」を歩むことが大切なのです。
法華経には「私たちは皆、各々異なった役目を持って生まれて来ている」と説かれています。私たちは人との交際や仕事などのすべてについて、菩薩道という大きな枠でとらえ、この役目を見い出さなければなりません。なぜなら、生まれながらに持つ役目とは「縁ある人を救う」ことだからです。
縁ある人に仏になっていただく。実に私たちは「これをするためだけにこの世に生まれて来た」といっても過言ではありません。それほど「仏になる」ということは、他の何にもまして大事なことなのです。実際、私たちの行動が自分のためだけではなく、まわりの人たちの喜びにもつながっていくなら、自分自身の存在にも大きな意義を感じるのではないでしょうか。
何を信じるか
法華経にはこうも説かれています。「私たちは皆、自分の意志で生まれる所を選んだのだ」と。とてもにわかには信じられないかもしれません。しかし「自分の知らないうちに物事が決められていた」と不満に思うよりも、「自分で選んだのだから自分で自分の人生を創っていこう」と考える方が、納得できるのではないでしょうか。お釈迦さまの説かれた奥深い真理のことですから、私たちが正しいかどうか判断するのは困難なことかもしれません。けれども、信じることはできるはずです。
法華経の中では、法華経自体を信じるようくり返し説かれています。つまりお釈迦さまご自身が、法華経を信じることを強く説かれているわけです。このことに目を向けず、お釈迦さまの教えを曲げて信じてしまうことは、かえって苦しみの種を作る結果を生みます。
お釈迦さまご自身のお言葉に耳をかたむけず、お釈迦さまが法華経を説く足がかりとして説かれた仮の教えから、自分に合いそうなものや先祖代々続いているものを、自分の考えで選びとって信じ込む。また菩薩道からかけ離れた、自分や自分の家族だけが幸せになるための宗教を信じ込む。これではまわりの人たちも、自分自身も不幸になってしまいます。
では私たちが菩薩道を実践するためには、何をよりどころにすればよいのでしょう。日蓮聖人のご生涯とご遺文が、それを指し示して下さっています。
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ご先祖の供養は自分の成仏に活かされるべきであり、法華経修行の一環でなければなりません。報恩や布施といった法華経の基本精神を忘れては、なんの修行にもならないのです。
先祖すなわち過去世を救うには、法華経を修行するしかありません。過去世を救うこと自体も信じ難い人がいるかもしれませんが、すべての人々を救うということは、場所や人数といった空間的なことだけではなく、時間的にも「すべて」ということなのです。現在や未来を救うだけでは、本当の成仏とはいえません。
日々の生活でも実践とともに、盂蘭盆会には菩提寺にお参りして、自分とまわりの人たちの成仏をご本尊にお誓いしましょう。 |
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