開目の章 |第1回「師の生涯と共に」 by Taiko

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 日蓮聖人(にちれんしょうにん)には、大勢のお弟子やご信者がおられました。晩年に身延山(みのぶさん)でお書きになられたお手紙を拝読いたしますと「人はなきときは四十人、あるときは六十人」とあります。今でこそ交通の発達により身延山への参詣も便利になりましたが、当時は深山である上に、参詣の道中も相当の苦労があったようです。

 そんな山深い場所にお住まいの日蓮聖人の下へ、少なくても四十人、多くて六十人ですから、お弟子やご信者の大聖人に対する敬慕(けいぼ)の念が相当なものであったことは、想像に難(かた)くありません。

 さて弘安五年(1282)十月十三日、御年六十一歳で日蓮聖人はお亡くなりになるのですが、この数日前に、数多いお弟子の中から六人のリーダー的お弟子を定められました。日昭(にっしょう)・日朗(にちろう)・日興(にっこう)・日向(にこう)・日頂(にっちょう)・日持(にちじ)という、六人のお弟子たち「六老僧(ろくろうそう)」です。老僧というとあたかも「年老いた僧侶」をイメージさせますが、大聖人が亡くなられた時、日昭上人は六十二歳、日朗上人は四十歳、日興上人は三十七歳、日向上人は三十歳、日頂上人は三十一歳、そして日持上人は三十三歳という若さでした。

 中でも日朗上人は「師孝第一(しこうだいいち)」と呼ばれ、お釈迦さまにとっての阿難尊者と同様、日蓮聖人のお側にお仕えしてお給仕されていたようです。また大聖人が伊豆流罪の折りに同行を願い出たのも、佐渡ケ島へ流罪の赦免状を届けたのも、この日朗上人であったとされています。

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