いつそば「我聞の章」 |第1話「大いなるつながり」 by Shougyo
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 そういえば、日本という国には「同じ釜の飯を食った」という言葉があるとか……。これは同じお釜で炊いた米を食べたというよりも、むしろ団結の堅さを示す言葉らしい。

 数年前、天候の不順から米不足になり、日本中で大騒ぎした時があった。その時東南アジアから輸入されたのは、黄色くて長くて粘りけのない「インディカ米」。そして現在の私の故郷でも、このインディカ米が食べられている。

 ところが、私の住んでいたタラーイ盆地周辺の遺跡を発掘調査すると、三千年前の地層からは必ず「ジャポニカ米」の化石が出てくる。そしていつ頃これがインディカ米に変わったのかは、今なお謎に包まれているとか。

 そう、あの頃はどの家から頂くご飯も、確かに白くて短くて粘りけのある米だった。日本で食べられているのと同じものだ。

 私がこの世に何回目かの生を受けたのも、同じく今から三千年ほど前の北インド。そこには「カビラ城」と呼ばれる城があって、王の領土はというと、そう……今の日本の千葉県ぐらいの広さだったろうか。

 カピラ城の王の名はシュッドーダナ、弟王たちの名はドロドーダナにアミドーダナ。「ドーダナ」は「ご飯」という意味だ。稲作が盛んな、いかにも豊かで平和な国をイメージさせる。

 そしてシュッドーダナ王の時代から1500 〜1600 年が過ぎ、大切な大切な理由があって、この王や弟王たちの名前が中国語に訳された。シュッドーダナは浄飯王(じょうぼんのう)、弟のドロドーダナは斛飯王(こくぼんのう)、そしてアミドーダナは甘露飯王(かんろぼんのう)。「浄い飯」「甘露の飯」と言うと、やはりジャポニカ米を連想させる。米を量る斛(ます)の飯というのも、なかなか面白い訳し方だ。

 私のことはともかく、浄飯王の一人っ子「ゴータマシッタールタ王子」のことを知る者は多いだろう。この方こそが、後に「お釈迦(しゃか)さま」と呼ばれる方だ。そして斛飯王の長男が、お釈迦さまを何度も殺(あや)めようとした提婆達多(だいばだった)。その提婆達多の弟が、私ということになる。

 北インドでの私は、親からアーナンダという名を頂いていた。お釈迦さまの説法の記録である「お経」にも、阿難(あなん)の名でしばしば登場する。

 さぁ、久しぶりにゆっくりと思い出してみようか。私の従兄(いとこ)であり、尊き師でもある釈迦さまからうけたまわったお話を。三千年前の、あの驚きと喜びの八年間を……。

(つづく)

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