開目の章 |第4回「布教の始まり」 by Taiko

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 日蓮聖人のご生涯は、法華経の実践そのものでした。またそれは同時に、たび重なる法難をも意味します。

 建長五年四月二十八日、立教開宗(りっきょうかいしゅう)のその日に地頭(じとう)・東条景信(とうじょうかげのぶ)に山を追われて以降「草庵焼討ち」「伊豆伊東への流罪」「龍の口首の坐」「佐渡流罪」等、池上で六十一年のご生涯を終えられるまで「少少の難はかずしれず、大事の難四度なり」といわれるほどのご生涯だったのです。

 ところで、開宗の宣言をされたのは今の千葉県にある清澄山ですが、布教の拠点に定められたのは、当時の政治の中心である鎌倉でした。大聖人はここにご草庵を結び、布教活動を展開されるのです。

 鎌倉に入られたのは建長五年の夏頃と思われますが、すぐには布教活動を開始されませんでした。なぜなら、お釈迦さまが亡くなられて二千年の時を経た「末法(まっぽう)」といわれる時代に法華経を広めるには、法難が必ず起こると経文に説かれており、もし志なかばで命を落とすことにでもなれば、「皆帰妙法(かいきみょうほう)」の道が閉ざされてしまうからです。

 同年十一月には、日蓮聖人の比叡山遊学時代の同学である、後の六老僧・日昭(にっしょう)上人が入門し、さらに翌建長六年には日朗(にちろう)上人が入門します。大聖人は、後事を託すお弟子を育成され、万全の準備を整えられてから鎌倉の辻に立たれ、法華経の信仰・お題目の信仰を叫ばれるのでした。

「仏語を実語とせん」

 お釈迦さまのお言葉を真実のものとする布教の始まりです。

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