開目の章 |第8回「日蓮が弟子」 by Taiko

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「法に依(よ)って人に依らざれ」

 仏の言葉のみに信順(しんじゅん)し、いかなる学者の言葉であったとしても、それに信順してはならない……。お釈迦さまの遺言ともいわれる『涅槃経(ねはんぎょう)』のお言葉です。

 日蓮聖人は、お釈迦さまの弟子としてこのお言葉に素直に従われ、法華経・お題目の信仰を私たちに勧めて下さいました。時の幕府を諌(いさ)めた『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』には「余(よ)は是(これ)頑愚(がんぐ)にして敢(あえ)て賢(けん)を存せず、唯(ただ)経文に就(つい)て聊(いささ)か所存(しょぞん)を述(じゅつ)す」と、自身の思惑で意見を述べるのでなく、お釈迦さまのお言葉を述べると念を押されています。

 日蓮聖人の言動はすべて法華経に基づいたもので、それはお釈迦さまの本意を世に伝えるためでした。さて、その大聖人は私たちに「日蓮が如くにし候へ」また「日蓮のほか別の才覚(さいかく)無益(むやく)なり」と訓戒(くんかい)されています。法華経を信仰し、お題目を唱え日蓮聖人を師と仰ぐ人は、そのお言葉に素直に耳を傾けて従い、大聖人の行動を手本として人生を歩みなさいということなのです。

 また「日蓮聖人と自分は違う」と考え、他の道を探すということは無益であり、徒労(とろう)に終わると厳戒(げんかい)されました。それは「日蓮が弟子檀那(でしだんな)等、自他彼此(じたひし)の心なく水魚(すいぎょ)の思いを成し」といわれるように、日蓮聖人が「水」で私たちがその中に住む「魚」であると解釈できた時に初めて解ることであり、大聖人から離れることのない言動が「日蓮が弟子」といわれる私たちの務めなのです。

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