悲しいことがあると開く皮の表紙
卒業写真のあの人は優しい目をしてる
この曲は、松任谷由実の名曲『卒業写真』の出だし部分。私の生きた時代から三千年の時間と数千キロの空間を隔てた日本で歌われたものだ。
私の名は阿難(あなん)。その昔、北インドにおいて尊きお師匠さまと共に生きていた。
さて、春は多くの若者が卒業・入学という新たな旅立ちの刻(とき)を迎える季節。義務教育を別にすれば、入学は合格通知とセット、そして卒業は卒業証書とセットになる。ちなみに大学だけは、正確に言うと卒業証書とは呼べないそうだ。大学は卒業する所ではなく学士の資格を取る所で、例えば「文学士と称することを認める」等と資格を認定する旨が書かれているのだとか。
それはともかく、尊きお師匠さまがこの世におられた時代、弟子たちもお師匠さまから卒業証書と言えるものを頂いた。お師匠さまのお説き下さった教えが「仏教」で、その修行方法が「仏道修行」。この仏道修行に対し、最終的に授与されるものがある。
そこには、どんなことが書かれているのか?当然ながら「仏の道の修行」の卒業証書だから「仏の道を確実に進んでゴールに着きました」ということが書かれていなければならない。言いかえれば「仏の道を成しとげた」ということで、ここから「成仏」という言葉が出て来る。そう、お釈迦さまの口から「未来において成仏する」という保証・お約束の言葉を頂くことが、私たち直弟子にとっての卒業証書に他ならない。
お釈迦さまは法華経の第六章で、四人の直弟子、つまり私にとっての兄弟弟子に、この卒業証書を授与された。これを仏教では「記別(きべつ)」といい、授けられることを「授記(じゅき)」という。
一人目の迦葉(かしょう)さまは光明如来(こうみょうにょらい)、二人目の須菩提(しゅぼだい)さまは名相如来(みょうそうにょらい)、三人目の迦旃延(かせんねん)さまは閻浮那提金光如来(えんぶなだいこんこうにょらい)、四人目の目連(もくれん)さまは多摩羅跋栴檀香如来(たまらばっせんだんこうにょらい)。それぞれに「〜如来と称し、ここに成仏すると認める」と、皆の前でお釈迦さまの宣言を受けたのである。
ただし、通常の卒業証書が所定の課程を修了したと認定していることに対し、記別・授記には大切な違いがある。お釈迦さまは「遠い未来にも多くの仏さまを供養し、法華経の教えを受け持(たも)って菩薩の修行を続ける」という条件のもとに「○○如来となる」とおっしゃったからだ。そのことを思うと、お釈迦さまから頂ける卒業証書には、量り知れない重さを感じてしまう。
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