開目の章 |第10回「この経は持(たも)ち難し」 by Taiko

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 日蓮聖人は弘長元年五月十二日に理不尽(りふじん)にも逮捕され、伊豆の伊東へ流罪にされました。いわゆる「伊豆法難」です。この時、由比ケ浜(ゆいがはま)に集まる弟子信者の中で師孝第一とうたわれた日朗上人は、大聖人の乗せられた舟の手綱(たづな)にしがみつき「師匠は針、弟子は糸。針が曲がれば糸も曲ります。師匠に罪があれば弟子にも罪があります。なにとぞ私もその船にお乗せ下さい」と懇願(こんがん)しました。

 しかし役人は船の櫂(かい)で日朗上人の右腕を強く打ち、その腕は折れてしまいました。この有り様を船の上から見ておられた大聖人は「おお日朗、痛むであろう。日蓮が日頃の教化(きょうけ)、よも忘れはすまい。末法に法華経を広むる者は大難来たり、杖をもて打たれ、遠き島に流さるるとは勧持品(かんじほん)の経文なり。この地と伊東は西東、八重の潮路は遠く離るるとも、何条(なんじょう=きっと)心の交わざるべき。日輪東天に昇り給はば、日朗鎌倉に無事なりと知るぞ。月西山に傾くならば、日蓮伊豆伊東にありて健在なりと知れ」と、日朗上人をはじめ弟子信者たちを激励・訓戒され、船は岸辺を離れて行ったのです。

 そして大聖人は「此経難持(しきょうなんじ)若暫持者(にゃくざんじしゃ)我即歓喜(がそくかんぎ)諸仏亦然(しょぶつやくねん)……」と静かに『宝塔偈(ほうとうげ)』を読まれ、弟子信者たちもまた、涙を流しながらこの経文をお唱えになりました。

 行く船の日蓮聖人が唱える声、留まる日朗上人たちの唱える声。お互いの声が波間より聞こえる様子が、現在も伝わる唱え方(音調・節)になったということです。

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