観心の章 |第10回「忘れられた宝珠」 by Ryue

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 お釈迦さまより授記(じゅき=成仏の保証)を与えられ、五百人の仏弟子たちは大変喜びました。方便の教えを最高の悟りだと思って満足し、それ以上向上して仏になろうなどと思ってもいなかったのに、今はお釈迦さまのおかげで、自分たちがどれほど無知であったか気づいたからです。

 弟子たちは反省し、自らの理解と納得を「衣裏繋珠(えりけいじゅ)の譬(たと)え」をもってお釈迦さまに申し上げました。

「ある人が親友の家に行ってお酒をごちそうになり、酔って寝てしまいました。親友は公用で出かけねばならず、彼のため衣服の裏に宝の珠(たま)を縫い付けておきました。しかし彼は、眠りから覚めても宝の珠に気づかず、そのまま他の国へ出かけてしまいます。そしてわずかな収入のために苦労を重ね、その日暮らしの生活に満足するようになりました。

 ある日のこと、彼は久しぶりに親友に会いました。親友は、貧しく愚かな彼の目を覚まさせ、衣の裏に縫いつけた宝の珠がいまだにあることを教えると『これを必要なものと交換すれば、意のままに生活することができよう』と告げました」

 そうして五百人の弟子たちは、この話に出てくる親友とはお釈迦さまのことで、貧しく愚かな人とは自分たちであったと述べました。

 また宝珠とは「仏性(ぶっしょう)」を意味します。もともと具(そな)わっているにもかかわらず、その事実を忘れている私たちを、真実の教え『法華経』によって仏性に気づかせることが、お釈迦さまの誓願なのです。

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