開目の章 |第29回「法難と供に」 by Taiko

想

小坊主のつぶやき

いつそば「観心の章」

いつそば「開目の章」

自在生活ノススメ

UFO通信

のほほん評判記

 日蓮聖人に対する法難は、文永十一年三月の佐渡流罪赦免にて一往の終息をみますが、鎌倉や富士近郊に在住のお弟子やご信者に対しては、さまざまな法難弾圧が続きました。

 結句「我弟子等の中にも、兼て聴聞せしかども、大小の難来る時は今始て驚き肝をけして信心を破りぬ」と、法華経の信心を破り捨てる=退転者も出てきたのです。

 もちろん、いかなる法難弾圧があろうとも、堅固な信心を貫くお弟子やご信者も数多くありました。駿河富士郡熱原(あつわら)の門弟に加えられた弾圧「熱原法難」では、後の六老僧・日興上人をはじめ大檀越(だいだんのつ)たる南条時光氏が、正面からその法難に対峙しました。しかし、この弾圧で捕らわれの身となった農民の内、神四郎(じんしろう)ら三名は斬首され、他は禁獄という苛酷極まりないものでした。

「彼等御勘気(ごかんき)を蒙(こうむ)るの時、南無妙法蓮華経と唱え奉ると云云」

 念仏の信仰を強要された神四郎らは、念仏を拒否し、お題目を唱えながら死んでいったといいます。

 無事平穏な生活が送れることは、有難いことです。有難いことではありますが、法華経信仰が法難と供にあるという認識に立てば、一考せざるを得ません。そうすると、善神による「守護」の意味も自ずから趣きが変わってきます。

 法華経に説かれる守護の本質的な意味は、いかなる苦難の時も教えに対して疑いを抱かず、お釈迦さまの救いの中に浴しているという安心(あんじん)が揺らがないこと。ここにあるように感じます。

what's newdiscourseseasontalesideadownloadlinkmyoabout "myo"site mapNOEC

HOME

Since 1999, Nichiren-shu Osaka Enlightenment Center. All teachings are opening up.