釈尊降誕会 |花まつりって何? by Takochan
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仏教は古い?

 少なくとも子供たちが欲しがるもののいくつかは、テレビゲームが与えてくれる時代になりました。かつてのお年寄りによる「昔話」が本や劇画に変わり、アニメになり、テレビゲームにとって代わられて、神話の舞台や道具立てがすっかり現代風になったものもあります。それでもなお、いつとも知れない古代を舞台にしたものも多く、これはこれで非常に興味深いことです。

image かつてお年寄りたちが話してくれた数々の神話や伝説は、人生には困難がついてまわることを、あらかじめ子供達に学習させるためだったともいえます。そして現実に危険や困難に遭遇(そうぐう)した時、立ち向かう勇気を養っていたのかもしれません。

 しかし大人になってもそんな勇気は持てず、宗教を求める若者が増えています。どれほど神話や物語の中で仮想の経験を積んだとしても、完全な勇気がつちかわれるわけではないということでしょう。

 さらに、危険や困難を乗り越えるためには「知恵」が必要です。もちろん少しは神話の中にも用意されてはいますが、現実の人生における困難を乗り越えるには、役に立つ知恵はまだまだ不足しています。どう考えてみても現実は、神話や物語の世界よりはるかに複雑だからです。

 終戦から高度経済成長期にかけて、自然科学信仰や平和主義が多方面に浸透した頃、「仏教は古い」「宗教などいらない」と言われることがよくありました。しかし近年の若者たちの動向を見ていると、宗教は相変わらず必要とされ、特に仏教は古いようで新しいことを思い知らされます。

超能力が欲しい

 仏教の中でも「密教」に対する若者たちの興味の大きさは、いわゆる「霊能力」や「超能力」に対する関心がきっかけの場合が多いようです。わずか二〜三十年前の若者たちなら「霊能力や超能力などは人生の色々な問題から逃げ込むところ」ぐらいにしか考えていなかったのに、ずいぶんと変わったものです。一体何が若者たちを変えていったのでしょう。

 まず考えられるのは、公害問題がきっかけとなり、科学の力で何ごとも合理的に解決しようという姿勢では、人生の色々な問題を十分に解決できないことに気づいたこと。もう一つは、自分の人生を自分自身で切り開くための訓練を、十分に受けることができなかったことが理由に挙げられます。

image これは逆に考えると、社会が敷(し)いたレールを親が選び、そのレールから外れないよう親や社会に強制されるばかりなので、社会が安定すればするほど若者たちは自分の価値を見出せず、行き場のない想いにかられることにつながります。彼らが本当に必要としているものは、こうした行き詰まりの状態から脱出するための超能力であり、神話に登場する英雄のように自分の人生を自分で切り開く力なのです。

 予言めいたものがたまたま当たり、テレビ等でもてはやされたある予言者は、それ以後は検証不可能なことしか言わなくなってしまいました。それでもしばらくは若者たちの興味を引き続けていたところを見ると、やはり非合理的なものを受け入れたい、または信じたいという傾向があるようです。

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