立教開宗会 |なぜ法華経を立てたのか? by Taiko
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日蓮聖人の疑問

 日蓮聖人がお生まれになった頃は、法然(ほうねん)上人の念仏を初めとして、禅宗など新宗派が民衆の間にも盛んに信者を増やしていました。それら開祖たちの出家の動機は、幼くして親を亡くして無常感(むじょうかん)にとらわれ、親の菩提を弔(とむら)うためという理由がほとんどだったのです。

 もちろん日蓮聖人にも人の生死に対する無常感はありましたが、出家の動機はそれだけではありませんでした。一つは、同じお釈迦さまの教えなのに、それぞれ異なった宗旨をもつ宗派が乱立していることに対する疑問。もう一つは「承久(じょうきゅう)の乱」で、朝廷側が神仏に必勝祈願をしたにもかかわらず、加護(かご)を受けられず幕府側の武力に屈し、天皇等が島流しなったことに対する疑問です。

image 仏法に対する疑問と、国家に対する疑問。これらは幼少の日蓮聖人にとって、とても大きな疑問でした。そして十二歳で出家を志し、十六歳の頃に疑問を解くため虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)に願をかけ、大いなる智恵を表す「宝珠(ほうじゅ)」を頂いたとおっしゃっています。

 日蓮聖人はそのあと間もなく、鎌倉諸大寺や比叡山等に研学の旅に出られました。先の出家の動機からも分るように、日蓮聖人のそれは決して逃避的(とうひてき)なものではなく、ただひたすら仏法と国家に対する疑問を究明するための旅だったのです。

いったい何が正しいのか?

 お釈迦さまはご遺言(ゆいごん)として『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』という教えを説かれました。その中には「法に依りて人に依らざれ、義に依りて語に依らざれ、智に依りて識に依らざれ、了義経(りょうぎきょう)に依りて不了義経に依らざれ」という経文があります。これは「四依文(しえもん)」といって、今の言葉にすると次のような意味になります。

「第一に、いつも仏の説く教えに従って行動しなさい。時代や状況によって移り変わる人の言動には、決して頼ってはなりません。第二に、仏が説く教えの真意をいつも心にとどめ、ひたすらに道を進みなさい。教えの表面的な言葉だけに、決して迷ってはなりません。第三に、いつも仏の智恵をよりどころとして、人生を歩みなさい。自らの学識や経験に、決しておぼれてはなりません。最後に、仏の教えの中でも、すべての人々が等しく仏となることができる、真実の教えだけに従いなさい。そこに至るまでに説いた仮の教えには、決してとらわれてはなりません」

image 日蓮聖人は、お釈迦さまがのこされたこの冷静かつ公正な精神を特に重視され、教えのままに学び続けられました。そして浄土宗や禅宗といった当時の新宗教を初め、真言宗や天台宗、また当時の学問の最高機関ともいえる比叡山を本拠地とし、京都や大阪・高野山にまで足をのばして考究を重ねられています。そうして、インドから連綿(れんめん)と続く法華経を中心とした教えこそが、お釈迦さまのご遺言にかなった唯一の教えであることを納得されたのです。

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