祈願
全国の寺院でも、よく「節分会」が行われます。その時に一年の安泰を祈願する人もいらっしゃいますが、初詣と同様、かなり「個人的な祈り」にかたよる場合が多いようです。特に「星祭り」では個人個人のお札(ふだ)を頂きますから、そうした傾向は強いでしょう。でも、それだけで良いのでしょうか?
本来、仏教における祈祷(きとう)とは、仏さまの「大いなる智恵と慈悲の光」を受け、すべての人がお釈迦さま同様の人格を持てるよう祈ることです。もちろんこの祈りを実現するためには、家族の健康や融和(ゆうわ)や安定した生活も必要でしょうから、それらを祈るのも決して悪いことではありません。しかし熱心な法華経の信者であった宮沢賢治氏の言葉「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」が示すように、私たち一人一人の幸せは、他人の幸せと決して切り離しては考えられないのです。
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菩提寺の節分会には必ず参詣して、世界中の人が法華経の教えの通りに感じたり、考えたり、また行動するためのお手伝いができるよう、あらためてお誓いしましょう。
人生における苦しみは、私たちの心が作り出していることを素直に認め、苦しみから逃げることなく自身の心を変えていかなければなりません。そうすることで自分の「苦」は「楽」となり、進歩・発展・向上の糧(かて)とすることができるはずです。そして唱題修行こそが「すべての幸せを願う」ということであり、自らの心を変え、自らと他の人々の蘇生(そせい)をも約束する修行なのです。 |
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